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インフルエンザウイルス 〜 構造とワクチン、生活環と治療薬の関係

流行性感冒の病因で、全世界では毎年300万人から500万人が重症化、29万人から65万人が死亡する。日本の感染者数は2017/2018年期で1458万人、致死率0.001%(70歳以上0.03%)である。インフルエンザウイルスにはA, B, C の3つのタイプがあるが、C型は小児に主に感染し病態も軽い。A型はB型よりも流行の規模が大きく、重篤化の頻度も高い。パンデミック、すなわち世界的流行を起こすのはA型である。本稿ではA型について説明する。

 

パンデミックの歴史

インフルエンザAウイルスは、この100年位の間に4回のパンデミックを起こっている。パンデミックはそれまでにはなかった新しいサブタイプの出現による。新しいサブタイプには全く免疫がないために、パンデミックが起きる。

・スペインかぜ(H1N1):流行時期1918−1919年。感染者6億人、死者4000-5000万人。

・アジアかぜ(H2N2):1957年。死者200万人、日本は7735人。

・香港かぜ(H3N2):1968年。死者100万人、日本では2200人以上。

・新型インフルエンザ(A(H1N1)pdm09):2009年。

括弧内はインフルエンザウイルスのサブタイプ(後述)である。パンデミック後は、同じサブタイプのインフルエンザウイルスが季節的に流行するようになる。すなわちパンデミックで流行するインフルエンザウイルスのサブタイプが入れ替わる傾向がある。

 

インフルエンザAウイルスのゲノムとウイルス粒子の構造

A型はウイルスゲノムが8本のRNA(分節、segment)から構成され、そのRNAはマイナス鎖、すなわち通常のmRNAの相補鎖である。それぞれの分節は、ウイルス粒子を構成する蛋白質やRNAポリメラーゼなど生活環に関する蛋白質酵素の情報を格納している(図1左)。MとNS以外はそれぞれ一種類の蛋白質をコードしており、MとNSは選択的スプライシングによりそれぞれ2種類(M1, M2; NS1, NEP)の蛋白質を発現する。

ウイルス粒子(図1右)はエンベロープ envelope という細胞膜の被膜をかぶっており、エンベロープ上にはヘマグルチニン hemagglutinin(血球凝集素、HA)、ノイラミニダーゼ neuraminidase(NA)の2種類の蛋白質が存在し、この2つの蛋白質が主要な抗原となる。エンベロープ表面上には少量のM2、そして裏打ちにM1とそれに付着するNEP(nuclear export protein)が存在する。ウイルス粒子内部ではNP(nuclear protein)がRNAに螺旋状に結合、RNAの端には\alpha, \beta1, \beta2の各サブユニットからなるRNAポリメラーゼ RNA polymerase が結合している。

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図1.インフルエンザAウイルスの構造。ゲノム(左)、ウイルス粒子(右)。vRNP, viral ribonuclear protein。Breen et al. Viruses 2016 8:179 より。

 

ワクチン

インフルエンザAウイルス粒子の医学上の大きな特徴はヘマグルチニンとノイラミニダーゼの亜型、すなわちサブタイプである。ヘマグルチニンは H1からH16 までの16型が、ノイラミニダーゼは N1からN9 までの9型がある。インフルエンザウイルスはいろいろな哺乳類に罹患するが、ヒトにこれまで罹患したサブタイプはH1N1, H2N2, H3N2の3つである。医学上の大きな問題は、ヘマグルチニンとノイラミニダーゼが別の分節にコードされていて、ときどき入れ替わることである。サブタイプの入れ替わりによる抗原変異が、不連続抗原変異(antigenic shift)あるいは大変異であり、パンデミックの原因になっている。これに対し普通の塩基置換等による変異は、連続抗原変異(antigenic drift)あるいは小変異と呼ばれ、蓄積すると抗原性が変化する。不連続抗原変異により、スペインかぜ(H1N1)→ アジアかぜ(H2N2)→ 香港かぜ(H3N2)→ ソ連かぜ(H1N1)→ 新型インフルエンザ(A(H1N1)pdm09)と新しいサブタイプが出現してきた。なお、ソ連かぜは地域的流行、すなわちエンデミックとして流行したが、定着して季節的流行を起こしている。現在、香港かぜ、ソ連かぜ、そして新型インフルエンザ(A(H1N1)pdm09)が季節性インフルエンザとして冬期流行している。

なお、連続抗原変異については RNAポリメラーゼの精度が影響するが、コロナウイルスと比較すると精度は低い(変異率は一桁以上高い)。これはコロナウイルスのRNAポリメラーゼは校正機能をもっているが、インフルエンザウイルスは持っていないためである。

ワクチンはウイルス培養後不活化したワクチンであり、製造法については別記事に記載した(「新型コロナウイルスワクチンの仕組み」)。年初のWHOの流行株予測に基づき各国で製造する。現在の日本のワクチンはAウイルス2株(H3N2, A(H1N1)pdm09)、B ウイルス2株の混合である。ワクチンの性能は有効率、ワクチン接種による発病率の低下、で評価するが、インフルエンザワクチンの場合は50%前後である。すなわちワクチンを接種しなければ10人発症するが、ワクチンを摂取すると5人しか発症しない、という程度で、効果は限定的である。

 

生活環と抗インフルエンザ薬

インフルエンザウイルスはヒト上気道内皮細胞に吸着するが、ヘマグルチニンとノイラミニダーゼはスパイク状をしており(スパイク蛋白質)、吸着に関与する。とくにヘマグルチニンが重要で、吸着力の約40%を占める。吸着したウイルス粒子は細胞のエンドサイトーシスにより細胞内に侵入後、脱殻する。放出されたRNAポリメラーゼはウイルスゲノムRNAの複製をすると同時に、複製された相補鎖(プラス鎖)はmRNAとしてウイルスの蛋白質を合成する。ただし蛋白質合成にはmRNAのキャップ構造が必要だが、ウイルス自体はつくる仕組みを持っていない。そのため、RNAポリメラーゼ\beta1サブユニットのエンドヌクレアーゼ活性により、細胞mRNAのキャップ構造を切り出してウイルスのmRNAに結合させる。

複製されたRNAゲノムと合成された蛋白質は、細胞膜近傍に集まってウイルス粒子を構成し細胞から出芽する。細胞から放出されるためにはノイラミニダーゼが必要である。ノイラミニダーゼは細胞表面の糖鎖をシアル酸残基の部分で切断する活性を持つ酵素であり、この活性によりウイルス粒子が細胞から遊離する。ウイルスの生活環を

図2にまとめた。

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図2.インフルエンザAウイルスの生活環。Arias et al. Arch Med Res 2009 40:643-54 より改変。

抗インフルエンザ薬は、この生活環の特定箇所を障害する(図3)。最も種類が多いのがノイラミニダーゼ阻害剤で、オセルタミビル(製品名:タミフル)、ザナミビル(リエンザ)、ペラミビル(ラピアクタ)、ラニナミビル(イナビル)がある。RNAポリメラーゼ活性の阻害剤がファビピラビル(アビガン)である。RNAポリメラーゼのエンドヌクレアーゼ活性の阻害剤がバロキサビルマルボキシル(ゾフルーザ)である。

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図3.抗インフルエンザ薬の生活環における作用箇所。図2に重複表示。

タミフルは最も代表的な抗インフルエンザ薬だが、最近のメタ解析によると、効果はそれほど大きくはなく、罹患期間7日を6日に短縮する程度である。そのため、2009年に世界保健機関の必須医薬品の一覧に追加されたが、2017年に「補足的な薬」に格下げされ、今後は医薬品リストからの除去もありうる。アビガンに関しては、以前の記事でも紹介したようにタミフルと比較して劣った効果しかない。ワクチンも治療薬も限定的な効果しかない点には留意が必要である。

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