新型コロナウイルスワクチン開発には、これまでヒトでは承認されていない新しい方法が使われている。先進的なアプローチを含め、ワクチンの種類について説明する。ワクチンは健常人に接種するため効果と安全性の評価が重要だが、新型コロナウイルスワクチンについては緊急性を理由に評価が簡略化される傾向がある。規制のあり方はかなり流動的であるため、2020年9月1日時点の状況を説明する。
ワクチンの種類
ウイルスにかかると免疫ができて同じウイルスにかかりにくくなるが、ワクチンはウイルスにかかることなく免疫をつくる薬剤である。新型コロナウイルスワクチンには3種類のアプローチがある。
ウイルスを接種する
ウイルスの部品(スパイク蛋白)を接種する
ウイルスの部品(スパイク蛋白)を人体の中でつくる
それぞれについて説明する。
ウイルスを接種する:弱毒化ワクチン、不活化ワクチン
ウイルスをそのまま接種すると発病するので、病原性をなくす(弱毒化)か、あるいはウイルスを殺してから(不活化)注射する。現在使われている弱毒化ワクチンにはポリオワクチンやBCG(ウイルスではなくて細菌、結核菌の弱毒株)がある。弱毒化株をつくるために長い時間がかかるので今回のケースには向いていないが、3つのグループがこの方法を採用している。
不活化ワクチンはよく使われる方法だが、代表的なものにインフルエンザワクチンがある。インフルエンザウイルスをニワトリの卵のなかで増やし、ホルマリン等で不活化、精製して完成である(図1)。
ウイルスの部品(スパイク蛋白)を接種する:サブユニットワクチン
コロナウイルスを電子顕微鏡でみると、花弁状の突起を持ち外観がコロナ(太陽の光冠)に似ている(図2左)。この突起はスパイク蛋白からできている(図2右)。
ウイルスの中にはRNAがあり、その中にスパイク蛋白を含むウイルスを構成する蛋白質の遺伝子情報が入っている。これまでの研究、とくにSARS, MERSの研究から、スパイク蛋白で免疫ができることが明らかになった。したがってウイルスのかわりにスパイク蛋白を接種すればよい。大量のスパイク蛋白が必要だが、いろいろな細胞を使った生産法が確立している。
細胞をつくる情報(遺伝子情報)はDNAの中に格納されているが、活性化するためには、まずRNAコピーができる。次にRNAの情報をリボゾームが読み取り、蛋白質(細胞の部品)をつくる(図3)。
蛋白質が細胞や人体のなかで活動するわけである。細胞のDNAにスパイク蛋白の遺伝子を組み込めば、この仕組みを使って大量のスパイク蛋白をつくることができる(図4)。細胞成分をのぞいてスパイク蛋白を精製すればワクチンの出来上がり、である。
代表例としてB型肝炎ウイルスワクチンがある。B型肝炎ウイルスはHBs抗原に免疫原性があるため、酵母でつくったHBs抗原をワクチンとして用いる。新型コロナウイルスについても、この方法を採用しているグループが最も多い。
ウイルスの部品(スパイク蛋白)を人体の中でつくる:ウイルスベクター、DNAワクチン、RNAワクチン
DNAやRNAを人体の細胞に導入することができれば、図3、図4の仕組みをつかって体内でスパイク蛋白をつくることができる。ウイルスベクター(ベクターは「運び屋」の意味)を使った方法が最も効率よくDNAを細胞内へ導入できる。これは増幅しないように工夫したウイルスで、ウイルスDNAの中に免疫原性のある蛋白質(新型コロナウイルスの場合はスパイク蛋白)の遺伝子を組み込む(図5)。
ウイルスベクターは増殖しないが、もとのウイルスと同様細胞に感染するので、効率よくスパイク蛋白遺伝子を導入できる。遺伝子からスパイク蛋白がつくられ、細胞表面上と細胞外に分泌されたスパイク蛋白により新型コロナウイルスに対する免疫ができる。アストラゼネカ/オックスフォード大学のグループとカンシノバイオロジックスのグループがアデノウイルスベクターを使用したワクチンを開発している。
ウイルスベクターを使わず細胞に直接DNAを導入するのがDNAワクチンである。大阪のアンジェス、米国イノビオ社が開発している。
RNAを導入すれば、DNAからRNAに遺伝情報をコピーするステップが省けるので、より効率よくスパイク蛋白をつくることができる(図6)。世界最速で人への投与を行った米国モデルナ社のワクチンはRNAワクチンである。
ウイルスベクターワクチン、DNA/RNAワクチンともに、新型コロナウイルス以前に承認されたものはない。
ワクチン開発上の問題点
WHOによると5月30日現在125のワクチン候補があるが、新型コロナウイルスワクチンは「架空」のワクチン(英語版ウィキペディア)であり、実現には多くの障壁がある。私は次の2点に注目している。
免疫が持続しない可能性
感冒のコロナウイルスは、一冬に何回も風邪をひくように、免疫が持続しない(MITテクノロジーレビュー「新型コロナ、免疫が持続しない可能性も」)。同じであれば、ワクチンで一旦免疫ができても数ヶ月で消える可能性がある。
臨床試験ができない可能性
オックスフォード大学ワクチン開発チームのエイドリアン・ヒル所長は、感染率低下によりワクチンの臨床試験ができなくなる可能性が高い、と指摘していた(「オックスフォード大学のワクチン治験、試練に直面」)。その後中南米や北米での感染者急増で地域を選べば可能となった。しかしながら日本国内での臨床試験は患者数の点で十分な試験は難しい。感染者の多い国の臨床試験で十分、という考えもあるが、日本は他の国と感染状況が異なるので、国内の臨床試験は必要だと思うが、今回のケースでは省略される可能性が高い。
臨床試験と承認審査の現状
現在第 III 相試験中あるいは使用許可が降りたワクチンについて図7にまとめた。現時点では、アデノウイルスベクターワクチン、RNAワクチン、不活化ワクチンの3種類である。
ワクチンの承認審査に関しては、緊急性を理由に評価が簡略化される傾向がある。旧共産圏で顕著で、8月11日にロシアがSputnik Vを承認、8月31日中国が不活化ワクチンの緊急使用を許可した、という関係筋の情報がある。また、カンシノバイオロジックスのワクチンはすでに人民解放軍に限って使用許可が降りている。
米国FDAはガイドラインを6月30日にリリースしており、そこでは評価項目は感染防御と重症化制御で、必要有効率は50%(インフルエンザワクチンと同レベル)である。もちろん第 III 相の無作為割付試験が必要である。しかしながら最近FDAのトップが第 III 相終了前の承認について言及しており(”FDA willing to fast-track coronavirus vaccine, agency chief says”)、西側諸国での承認要件も流動的になってきた。
<参考文献>
カンシノバイオロジックスのアデノウイルスベクターの臨床試験
Zhu, F.-C.et al., Safety, tolerability, and immunogenicity of a recombinant adenovirus type-5 vectored COVID-19 vaccine: a dose-escalation, open-label, non-randomised, first-in-human trial. Lancet (2020) DOI: https://doi.org/10.1016/S0140-6736(20)31208-3
オックスフォード大学のエボラワクチン(アデノウイルスベクター)の臨床試験
Ewar, K. et al., A Monovalent Chimpanzee Adenovirus Ebola Vaccine Boosted with MVA. New England Journal of Medicine (2016) DOI: https://doi.org/10.1056/NEJMoa1411627
米国イノビオ社のDNAワクチンの前臨床試験
Smith, T.R.F et al., Immunogenicity of a DNA vaccine candidate for COVID-19. Nature Communications (2020) DOI: https://doi.org/10.1038/s41467-020-16505-0