精密医療電脳書

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PCRに必要なアイテム 〜 耐熱性DNAポリメラーゼと遺伝子増幅装置

昨今新型コロナウイルスのために、PCRが一般に知られるところとなりましたが、PCRには好熱性菌が鍵になっていることはあまり知られていません。ここでは好熱性菌由来のDNA合成酵素について解説します。またPCRを行う装置(遺伝子増幅装置)についても解説します。

 

PCR(polymerase chain reaction、ポリメラーゼ連鎖反応)

PCRはヒトやウイルスゲノムの任意の場所を増幅する技術です(DNA、ゲノムに関する簡単な説明は「精密医療 〜 遺伝子情報による治療法の選択」遺伝子変異 参照)。例えばヒトゲノムは全体で30億塩基ありますが、その任意の場所数百塩基を増幅することができます。新型コロナウイルスのPCR検査の場合は、新型コロナウイルスの特定箇所のみ増幅、それ以外のウイルスやヒトゲノムの領域は増幅しないように設計してあります。DNAが増幅されれば陽性、されなければ陰性になります。

PCRのためには、増幅したい場所の両側に20塩基ほどのプライマーを設計します。実際の反応は(図1)、まず増幅したいDNA(鋳型DNA)の入っている溶液を94°Cに加熱し、二本鎖のDNAを一本鎖にします(① 変性)。次に冷やして鋳型DNAにプライマーを付着させます(② アニーリング)。最後にDNAポリメラーゼ(DNA合成酵素)で二本鎖にします(③ 伸長反応)。PCRはこのプロセスを20−30回繰り返すことにより、DNAを指数関数的に増幅する技術です。30回繰り返すと10億倍以上に増えます。

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図1.PCRの反応過程。

PCRは1983年にキャリー・マリス(1993年にノーベル賞受賞)が発明した技術です。DNAは熱に安定ですが、一般に酵素などのタンパク質は熱に弱く、加熱すると失活します。発明当時は普通のDNAポリメラーゼを使っていたため、加熱すると失活、その度ごとにDNAポリメラーゼを添加する必要がありました。

 

耐熱性DNAポリメラーゼ

この問題を解決したのがTaq DNAポリメラーゼです。Taq DNAポリメラーゼは、米国イエローストーン国立公園の温泉(図2)から発見された好熱性菌 Thermus aquaticus のDNA合成酵素です。

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図2.イエローストーン国立公園の温泉。

Thermus aquaticus の至適温度は65−70°Cですが、80°Cでも生存できます。そしてTaq DNAポリメラーゼは94°Cに加熱しても失活しません。Taq DNAポリメラーゼを使うことにより加熱と冷却を繰り返すだけでPCRができるようになりました。1988年の研究報告後、PCRは爆発的に医学や医療で使われるようになりました。

日本でも優れた耐熱性DNAポリメラーゼが開発されています。それはKOD DNAポリメラーゼで、鹿児島県子宝島の硫気孔(図3)から発見された超好熱始原菌Thermococcus kodakarensis から生成された耐熱性DNAポリメラーゼです。

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図3.小宝島(左)と硫気孔(右)。

当時大阪大学におられた今西忠行先生が開発されました。KOD DNAポリメラーゼはTaq DNAポリメラーゼよりもDNA合成が正確で(約50倍)国産ということもあり、愛用している酵素です。

 

遺伝子増幅装置

図1で説明したようにPCRのためには加熱と冷却を繰り返す特殊な装置(遺伝子増幅装置)が必要です。ペルティエ素子が主流ですが、かわったデザインのものもあります。

初期の頃はペルティエ素子の性能が悪く劣化が激しかったので、水冷式の遺伝子増幅装置がありました。これはヒーターはペルティエ素子だが、冷却は水道水の流水で行う、というものです。ケンブリッジ大学付属病院で夜中に水道水のチューブが外れて水浸しになり、下の階の手術室にポタポタと水が垂れる、という悲惨な事故がありました。現在は使われていません。

面白いアプローチとして流路式があります(図4)。これは、反応液が流路をくるくる回っていく間に加熱と冷却を繰り返してPCR増幅を行う、というものです。速い増幅が可能なはずなので、緊急診断目的で有用だと思っているのですが、市販品はみたことがありません。

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図4.流路式遺伝子増幅装置。反応液が流路を流れながら変性(赤い部分)、アニーリング(青い部分)、伸長反応(黄色い部分)を繰り返す。Ma, S-Y. et al. Journal of Sensor, Volume 2019 Article ID 4712084 より。

水冷式はもうありませんが、空気加熱冷却方式は現在市販されています。キアゲン社のRotor-Geneです。サンプルを密閉空間の中をローターで回転、密閉空間を空気で加熱冷却します。ペルティエ素子の問題点は素子の位置で加熱冷却性能が微妙に異なり、そのため稀にPCRが失敗することがあります。Rotor Geneの場合は回転のため全サンプルが同一条件になるため、そのような問題がありません。

遺伝子増幅装置は普通の解析では現行機種で問題ないですが、大量解析、迅速解析にはまだ課題があるので、これからも開発は続くと思われます。