精密医療電脳書

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肺がんコンパクトパネル 〜 発明者の意図

6月上旬に気管支内視鏡学会、臨床細胞学会、臨床プロテオミクス学会と立て続けに肺がんコンパクトパネルの発表があり、参加した臨床医の先生方の注目を大いに浴びた、と伝え聞いた。発明者として喜ばしい限りだが、若干私の意図とは異なる方向に物事が動いているので一言注意を喚起したい。なお、論文はプレプリントサーバーへアップロードしており、肺がんコンパクトパネルの設計思想についてはこの論文できっちり書いておいた。

precision-medicine.jp

 

今月の学会発表(聖マリアンナ医科大学森川先生)はいずれも肺がんコンパクトパネルで細胞診検体を用いた検査結果を扱ったものである。既存の遺伝子検査パネルでは事実上細胞診検体は使えないので、コンパクトパネルの顕著な性能のデモンストレーションとしてはよい。しかしコンパクトパネルは細胞診検体のために作ったパネルではない。

 

これまでの遺伝子検査パネル、日本で承認されているものはFoundation MedicineのFoundation One CDxとThermo Fischer SceintificのOncomine Dx Target Testだが、両者とももともと研究用に開発されたもので、測定性能は研究用とかわらない。Foundation Medicineは2010年頃から遺伝子系バイオマーカーの包括的探索を提供しており、抗がん剤治験の多くは同社と契約していた。Thermo Fischer Sceintificはバイオ研究用の試薬及び機器メーカーであり、Oncomine Dx Target Testのプロトタイプはがん研究での変異探索を目的としていた。これらのパネルでは、研究用に採取されたがん組織を用いる。研究用には理想的な検体、すなわち実験で結果が得られやすいように採取された検体をもちいる。研究結果をレポートにするためには、研究対象の全体像が見えればよく、すべての患者のデータを正確に取る必要はない。すなわち欠損値がでても問題はないわけだ。

 

研究とは異なり、実臨床では、個々の患者の検査結果を必ず取得しなければならない。ところが、それぞれの患者で状況は大きく異なる:腫瘍の大きさも異なれば、部位も異なる。常に遺伝子解析用の理想的検体を採取することはできない。そのため既存の2つのパネルは検体の腫瘍細胞含有率が20%という制限を設けており、そのため多くの患者がこれらの検査を受けることができない。また腫瘍細胞含有率の正確な測定のため病理診断医の負担が増加する、という問題が生じる。

 

検体取り扱いの負担は日本でさらに顕著だ。米国での生検手技は外部からの穿刺や手術生検が中心だが、日本では気管支鏡生検が中心で採取検体の量や質は更に制限される。既存パネルへの不満は日本でのほうが強いが、米国のメーカーが日本の医師のために新たにパネルを作る、というシチュエーションは期待し難い。

 

肺がんコンパクトパネルはこのような状況下開発したもので、実臨床で採取されるあらゆる肺がん生検検体に対応するように設計している。まず腫瘍細胞含有率20%という制限を外すために変異測定感度を改善し1%で測定できるようにした。この感度であれば細胞診検体も使えるので、細胞診検体の取り扱い改善のため、GM管(ジーンメトリックス核酸保存液封入容器)を開発した。細胞診検体は遠心で細胞回収後凍結保存する冷凍庫のない医療施設が多い、ということなので、細胞の室温保存が可能なようにGM管を開発した。「コンパクトパネル+GM管」というスキームが成功しているので、細胞診への関心が高いようだ。

 

しかし、目標は「あらゆる肺がん生検検体に対応」であるため、一方の代表的検体種であるFFPEに関しても工夫している。FFPEの問題点は、ホルマリン固定の際DNAを傷害し変異を引き起こす点である。コンパクトパネルでは、PCR増幅酵素に古細菌由来の酵素(KODポリメラーゼ)を採用している。古細菌系の酵素はTaqポリメラーゼを代表とする細菌系の酵素と異なり、DNA傷害の入ったDNA断片を増幅しない、という特徴がある。そのため変異偽陽性を劇的に減らすことができる。またFFPEには限定されないが、環境によってはDNA/RNAが分解される可能性がある。少々分解されても検査結果が得られるようにPCR増幅産物の大きさを通常よりも短く(100塩基以下)している。

 

どのような検体種を遺伝子検査に採用するかどうかは、臨床現場によって異なってくるので、多様な検体種に対応できるようにコンパクトパネルを設計した。ただし、核酸生化学の立場から薬品処理のない細胞診検体が遺伝子検査に最適、と個人的には考えている。