精密医療電脳書

分子標的薬 コンパニオン診断 肺がん ウイルス 人類観察

ArcherMET製造終了

肺癌のコンパニオン診断薬の一つであるArcherMETが製造販売会社Ivitae, Inc.の経営方針の変更のため、製造終了することになった。この話は以前から聴いていたが、まず肺癌学会から通知が出た(重要なお知らせ:特定非営利活動法人 日本肺癌学会)。

 

METエクソン14スキッピング変異を標的にした薬剤テポチニブをつかうためには、承認診断薬であるArcherMET、AmoyDx PCRパネルあるいは肺がんコンパクトパネルで陽性判定でなければならない。現在肺癌用パネル診断の第一選択になっているオンコマインDx Target TestマルチCDxでは、METは承認されていないため、オンコマインでMETエクソン14スキッピング変異陽性判定の場合は、ArcherMETで陽性判定を確認することになっていた。コンパニオン診断薬については「一つの遺伝子について検査は原則1回分しか償還されない」という規則があるが、オンコマインはMETをカバーしていないので、ArcherMETの経費は保険償還される(保険点数は5000点)。

 

ところが、ArcherMETがなくなると、オンコマインでMET陽性の場合は、AmoyDx PCRパネルあるいは肺がんコンパクトパネルで陽性判定を確認しなければテポチニブを投与できない。Amoyの場合はMET以外にEGFR, ALK, ROS1, BRAFの4遺伝子が、肺がんコンパクトパネルの場合はEGFR, ALK, ROS1の3遺伝子が載っており、「一つの遺伝子について検査は原則1回分しか償還されない」という規則に反するため、追加検査分は保険償還されず、実施すれば全額病院(あるいは患者)負担になる。保険点数はAmoyが10,000点、肺がんコンパクトパネルが11,000点なので10万円以上の高額負担になる。

 

METを標的とした薬剤の出現は肺癌コンパニオン診断の転換点だった。肺癌の分子標的薬はEGFR, ALK, ROS1, BRAF, METの順で開発されてきた。長らくEGFRとALKだけで、EGFRはコバス変異検出キット、ALKはニチレイの免疫染色キットで診断できたので、パネル診断の必要はなかった。ROS1とBRAFに対する薬剤が上市されても、発症頻度がEGFR40−50%、ALK3%であるのに対し、ROS1とBRAFは1%以下と低いため、あまり重要視されなかった。ところがMETの出現頻度はALK並に高く、検査をしないと重要な治療機会を失う。そのため肺癌医療界全体にパネル検査への移行は不可避、というコンセンサスが出来上がってきた。

METは別の問題も抱えている。METを標的とした薬剤にはテポチニブの他にカプマチニブがあるが、カプマチニブのコンパニオン診断薬はFoundation One CDxで、厚生労働省の承認は得ている。Foundation One CDxはゲノム医療のためのパネル検査で、ゲノム医療に使った場合は5万6000点(56万円)が保険償還される。ところが、ゲノム医療は標準治療が効かなくなった患者、すなわち末期癌の患者が対象なので、コンパニオン診断の患者は対象外で保険診療には使えない。コンパニオン診断に使えば保険償還されず全額自己負担になる。カプマチニブは臨床試験の成績は微妙にテポチニブよりも良いのだが(MET阻害剤:テポチニブ、カプマチニブ - 精密医療電脳書)、このような事情のため滅多に使われることはない。そのためAmoyやコンパクトパネルでカプマチニブが使えるかどうか規制当局が検討しているようだ。

 

ArcherMETの製造中止はArcherMETを含むArcherDXをまるごとInvitae米国本社がintegrative DNA Technologies (IDT)へ売却したためである(Integrated DNA Technologies Acquires ArcherDX Next Generation Sequencing Research Assays from Invitae Corporation)。InvitaeがArcherDXを買収したのは2020年10月2日で買収額は3億5千5百万ドル(Invitae - Invitae Completes Transaction with ArcherDX to Bring Comprehensive Cancer Genetics and Precision Oncology to Patients Worldwide)、IDTに売却したのは2022年12月22日で4千8百万ドルで、ArcherDXの価値は7分の1になっている。ArcherDXの特許技術だけなら売却時の額が妥当なところだろう。買収時は会社の中身はわからないので、特許技術だけでなく会社内部に技術の蓄積を想定した買収額だったが、買収後中身を見てみると何もなかった、ということだろう。Invitaeはオンコタイプ-DXで有名なGenomic Healthの子会社で診断薬がビジネスの中心だが、IDTはDNA合成をビジネスとした研究用試薬の会社である。IDTは研究用にNGS技術導入のためArcherDXを買収しているため、診断薬ビジネスを継続しないのは当然だ。

 

米国発の遺伝子診断システムはトラブル続きである。先に上げたオンコタイプ-DXは乳癌の遺伝子診断システムだが、承認後保険適用までに開発が終了しないという前代未聞の自体が発生した(保険適用までに製品開発が完了しない前代未聞の事態が発生)。またオンコマインDx Target TestマルチCDxは一昨年試薬供給が止まって、診断が数ヶ月停止するという事態を引き起こしている(オンコマインDx Target Test マルチ CDxシステム(オンコマインDxTT)の供給が一時停止)。今回のトラブルは3度目である。「医療安全保障」とでも言うべき立場から国産のシステム開発が必要だが、現状は厳しい。まず技術を持った企業が少ない。公的資金はかなり出ているが、開発の成功体験がない研究者が審査にあたるため、システマティックに失敗する研究に研究費が流れる仕組みになっている。肺がんコンパクトパネルは稀な例外ととらえるべきであろう。