精密医療電脳書

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cPANEL試験:細胞診検体を用いた肺がんコンパクトパネルの前向き評価

11月2-4日千葉幕張メッセで第64回日本肺癌学会学術集会が行われた。肺がんコンパクトパネルの多施設前向き性能試験(cPANEL試験)の演題は2つで、一つは本会口演(発表者は北大の高島先生)、一つは学会と株式会社DNAチップ研究所共催ランチョンセミナー(発表者は聖マリアンナ医科大学の森川先生)だった。特にランチョンセミナーは盛会で、座席122に対し立ち見がでるほど。約20人が弁当よりもコンパクトパネルのセミナーを優先したことになる。夏から秋にかけて、国立がん研究センター中央病院の病理診断科長や肺癌学会バイオマーカー委員会委員長が座長の製薬会社主催WEB講演会が続いたこともあり、コンパクトパネルは肺がん専門医の間にすでに知れ渡っていたようだ。

 

 

肺癌の遺伝子パネル検査

ステージIIIB-IVの進行性非小細胞肺癌(以降単に肺癌とする)では、薬剤選択のために必ずがん組織の遺伝子検査を行い、遺伝子異常を標的とした薬剤(分子標的薬)が使えるかどうか調べる。20年ほど前にはEGFRという一つの遺伝子の異常に対する薬剤しかなかったが、現在は8つの遺伝子に対する薬剤が開発されている。それとともに遺伝子検査法に対する要求も変化してきた。遺伝子数が少ないときは、一つ一つの遺伝子検査を行うことが簡単だったが、遺伝子数が増えると検査に必要な検体の量が増える。その他の手間も増えるため、遺伝子検査を一括して行いたい、という要求が出てきた。複数の遺伝子を一括して行う遺伝子検査システムをパネルと呼ぶが、まず2019年にサーモフィッシャーサイエンティフィックが「オンコマイン Dx Target Test マルチ CDxシステム」、そして2022年にはシスメックスが中国Amoy Diagnostics Co., LTD の「AmoyDx®肺癌マルチ遺伝子PCRパネル」を上市した。

 

オンコマインとAmoyの問題点

ところがこの2つのパネルは遺伝子異常の検出性能が悪い(正確には感度が悪い)ため、検査試料を採取する側の医療従事者に新たな負担を強いることになった。がん組織はがん細胞だけでなく、その他の正常細胞も含んでいるが、これらの検査はがん細胞が多い組織しか検査できないのだ。そのため大量の組織を採取してがん細胞の多い領域を検査センターへ提出することになる。オンコマインの場合は腫瘍細胞含有率は30%以上、Amoyの場合は20%以上と定められている。そして腫瘍細胞含有率を測定するために提出可能な検体はFFPE(フォルマリン固定パラフィン包埋)に限られる。代表的単一遺伝子検査であるコバス EGFR 変異検出キットの場合はこのような制限がないため、FFPE検体だけでなく細胞診検体が提出できた。細胞診の場合は、例えば組織採取に用いた鉗子の洗浄液でもよく、腫瘍細胞の有無を診断するだけで腫瘍細胞含有率は測定しない。コバスEGFR 変異検出キットが使われていたときは、つまりオンコマインやAmoy登場以前は、腫瘍細胞含有率を気にせずに診断できた。

 

腫瘍細胞含有率の測定は面倒で不正確な作業だ。病理医または技士が目視で診断するわけだが、判定する人の個人差が激しく測定の一致率は50%程度である。腫瘍細胞含有率の判定が不正確で30%未満の検体を誤って提出している可能性が高い。結果的に全体のEGFR変異検出率が低下している。コバスの場合は35−38%だったが、オンコマイン、Amoyでは25−28%に低下している。これは深刻な問題だ:EGFRに対する薬剤オシメルチニブは非常に効果のある薬剤で、患者の人生が大きくかわるほど他の治療法よりも効く。肺癌患者全体の1割弱のEGFR変異を見落としている可能性があり、最近になってようやく肺癌専門医の間でも問題視されるようになってきた。

 

病理診断の精度から考えて、このような問題が発生することはあらかじめ予見できた。そして大量のがん組織が必要なので、検体採取のための医師・患者への負担が増加する。また腫瘍細胞含有率の測定自体煩雑な作業で医療現場への負担が大きい。これらの問題は高性能のパネルがあればすべて解決する、と考えて、肺がんコンパクトパネルを開発した。肺がんコンパクトパネルは2022年11月に薬事承認、2023年2月に保険収載されている。

 

cPANEL試験

今回発表があったcPANEL試験は、細胞診検体を使った肺がんコンパクトパネルとFFPE検体によるオンコマインあるいはAmoyの検査結果を比較する多施設前向き試験である。前向き試験は、試験を行う前にプロトコールや評価項目を決めた後に臨床試験を行う。プランなしに集めたデータを用いる研究(後ろ向き研究)では統計学的に正確な結果が得られないので、重要な研究は、必ず前向きで行う。コンパクトパネルでは以前に聖マリアンナ医科大学で前向き試験を行ったが、これは単施設の研究だった(Morikawa, K. et al. Cancers 2022, 14, 3784)。良好な結果が得られたが、単施設の場合、聖マリアンナ医科大学の医師・スタッフが上手なため良い結果がでたのであって、コンパクトパネルの性能が良いためではない、という反論が可能だ。そこでどのような施設でも同じ結果が得られることを立証するために多施設試験を行うわけだ。

 

参加施設は、北海道大学大学院医学研究院呼吸器内科学教室、聖マリアンナ医科大学病院呼吸器内科、国立病院機構名古屋医療センター呼吸器内科、岐阜総合医療センター呼吸器内科、神奈川県立がんセンター呼吸器内科、川崎医科大学総合医療センター内科、熊本地域医療センター呼吸器内科の7施設である。主要評価項目として、DNA/RNAの核酸収量が10 ng以上であり、8遺伝子すべての解析に成功したものを成功として、解析成功率を評価した。副次的評価項目として、肺がんコンパクトパネルによる遺伝子変異検出率を評価した。

 

結果は、細胞診サンプルを用いた248例の肺がんコンパクトパネル遺伝子解析成功率は98.4%(95%CI:95.9-99.6%)であった。この数値は直近のオンコマインの成功率95%よりも高い。遺伝子解析に成功した肺腺がん(遺伝子変異がでる肺癌のタイプ)150例のうち、93例(62%)に遺伝子異常が検出された。各遺伝子異常の検出率はEGFR, 38.0%; KRAS, 12.0%; ALK, 4.7%; BRAF, 2.0%; RET, 2.0%; MET, 1.3%; HER2, 1.3%; ROS1, 0.7%であった。

 

全体の遺伝子異常検出率62%はオンコマインやAmoyよりもずっと高い(およそ10%)。重要なEGFR変異検出率は38%でコバスと同等、オンコマインやAmoyより約10%高い。性能差は明確だ。コンパクトパネルは細胞診検体で成功しているが、細胞診検体では腫瘍細胞含有率を測定していない。これはFFPE検体でも腫瘍細胞含有率の測定は不要、ということを意味している。

 

今後の予想

一般の肺がん専門医が重視しているのは、対象遺伝子とバリアント(同じ遺伝子の異常でも多数のタイプがあり、それぞれをバリアントと呼ぶ)の数だ。古い技術(qPCR)を用いたAmoyはバリアント数が少なく、次世代シーケンサー(next-generation sequencer, NGS)を用いたオンコマインとコンパクトパネルが優れている、と彼らは考えている。現在承認されている遺伝子数はオンコマイン6個、Amoy7個、コンパクトパネル4個でAmoyが最も多いためシェアを伸ばしているが、コンパクトパネルの残り3個が承認されれば、一挙にシェアが動く。来年の今頃は、パネル検査の景色は全く変わったものになっているだろう。最終的には、TAT(turn around time, 検査結果が返ってくるまでの時間)はAmoyが短いので、緊急を要する症例はAmoyで、企業治験を行っている施設は遺伝子検査の制約があるためオンコマイン中心で、それ以外はコンパクトパネルが使用されることになる、と思われる。