精密医療電脳書

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ビジネス面からみた遺伝子検査パネル:高感度パネルが開発されない理由

先日先端がん研究分野の一つであるリキッドバイオプシーは、純粋な科学研究ではなく投資ビジネスでもあることを説明した。

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このような極端なケースではないが、ビジネス上の理由で医学的に必要な対応がとられないことがときどきある。一つの例が私達が研究開発している遺伝子検査パネルだ。

遺伝子検査パネルには、厚生労働省主導のゲノム医療に使われる大型(搭載遺伝子数が数百個)パネルと肺がんのコンパニオン診断用の小型パネルがある。ゲノム医療は標準治療の効果がなくなった患者が対象で医療効果は未知数だが、肺がん用のパネルは肺がん抗がん剤選択のための必須遺伝子検査を効率化するものだ。肺がんの場合遺伝子検査により遺伝子異常が検出された症例に使われる治療薬があり、代表的なものがEGFR変異陽性肺がんに使われるタグリッソだ。最初はEGFRだけだったが、各種遺伝子異常に対する治療薬が次々に開発され、現在は8種類の遺伝子異常に対する治療薬が開発されている。最適な治療薬選択をするためには8種類すべての遺伝子検査をする必要があるが、効率が悪く必要とする生検肺がん組織も大量となる為難しい。そのためこれらの多遺伝子検査を一括して行うため開発されたのが、遺伝子検査パネルだ。国内ではサーモフィッシャーサイエンティフィックのオンコマイン Dx Target Test マルチ CDx システムが厚生労働省に承認されている。

 

ところがオンコマインはもともと研究用に開発されたパネルをそのまま流用しているため、実地臨床の現場では大きな問題を引き起こしている。主な理由は感度が悪いため腫瘍細胞含有率が20%以上ないと検査できない。研究用の場合は収集したすべての試料で解答を出す必要はなく、解析可能な腫瘍だけ答えがでればよい。数が足りなければ症例を追加すれば良い。ところが臨床では検査可能な患者と検査ができない患者はあってはならないことだ。オンコマインは実際のところこの基本的要求を満たしていない。この腫瘍細胞含有率の問題は米国よりも日本でより深刻だ。米国は体外からの穿刺か開胸手術で検査用組織を採取するが、日本は気管支鏡での採取が一般的で、オンコマインで検査できる試料獲得の確率は更に低い。施設によって異なるが、大体半数の患者はオンコマインでは検査ができないのではないか。その場合EGFRを中心に単一遺伝子検査が行われることになり、新薬による治療機会が失われることになる。

 

この腫瘍細胞含有率の問題は遺伝子検査パネルの感度を上げれば解決する。私達の肺がんコンパクトパネルは初めての高感度パネルだが、そもそもの疑問は何故今までこのようなパネルをつくった人あるいは会社がなかったのか、ということだ。技術的に簡単とは言えないが、サーモフィッシャーサイエンティフィックはPCRや次世代シークエンサー関連技術では世界で最も優れた組織である。サーモフィッシャー自体は質量分析計の会社で遺伝子は専門外だが、PCRの歴史を作ってきたPCR関連企業をすべて買収しており、作ろうと思えば簡単に高感度パネルをつくることはできるはずだ。それでは何故つくらないのか。

日本で治療薬や遺伝子検査は、PMDAの審査を受け厚生労働省の承認を得なければならない。米国の場合は、FDAの承認が一般的には必要だが、遺伝子検査等は例外で、LDT(laboratory developed test)で実施できる。LDTはClinical Laboratory Improvement Amendments (CLIA)という別のプログラムで管理されており、CLIAの基準を満たした検査室で実施することができ、FDAの承認を得る必要はない。実際肺がんの遺伝子検査の場合は米国ではほとんどLDTで、そのためオンコマインは米国市場ではあまり流通していない。

遺伝子検査が必要な治療薬が開発された場合、製薬企業は治療薬そのもののFDA承認を得るだけではなく、そのターゲットとなる遺伝子検査の承認も同時に得る必要がある。そのため、このような遺伝子検査はコンパニオン診断と呼ばれる。オンコマインの場合は、肺がん関連の遺伝子をすべて網羅しており、FDA承認を得る実力があるため、製薬企業にとってコンパニオン診断の承認を得るのに適した検査システムと言える。オンコマインが米国市場であまり流通していないことを鑑みれば、オンコマインはFDA承認獲得用のシステムであって実地臨床に最適化されたシステムではない。FDA承認のためには、治療薬治験で集めた研究用試料が使えればよく、実地臨床での有用性は重要ではない。

このようにオンコマインは製薬企業を顧客としたFDA承認獲得のためのシステムであり、医師や患者を向いたシステムではない。治験であつめた研究用試料で結果が得られればよいのでサーモフィッシャーと製薬企業にとっては現行の性能で何の問題もない。日本ではPMDAの審査、厚生労働省の承認を得たシステムは事実上オンコマインしかないため、治験試料でのみ有用な検査システムをしいられているのだ。サーモフィッシャーが製薬企業を向いてビジネスをしている限り、高感度バネルを開発することはないだろう。

この問題を解決するには、国内で誰かが臨床用の遺伝子検査パネルを開発すればよい。私達がそれを行っているのだ。