デルタ株に関するスコットランドとイングランドの症例対照研究では、ワクチンはアルファ株よりも劣るが、感染防御の効果がある。重症化リスクはアルファ株よりも高い可能性が示唆されている。生物学的、進化論的には、感染力が増強すると毒性は低下するという推論があるが、デルタ株はそうではなさそうだ。
精密医療電脳書の立場
現在の科学は高度に専門化されており、少しでも専門が離れていると解釈を誤ることがある。また科学者の能力もさまざまなので、査読というシステムがある。執筆者以外の専門家が読んで、論文に誤りがないか判定するシステムだ。残念ながら生物学医学の分野では論文の数が膨大になって、この査読システムも機能不全に陥っている。査読誌に載った論文も注意して読まなければ解釈を誤ることになる。
このような状況下新型コロナウイルスのパンデミックが始まったわけだ。医師、医学者、生物学者それぞれ専門があり、専門内のことは強いが、専門外のことは弱い。それぞれの科学者や医師はそれぞれの専門に基づいた個人の見解があり、それにもどついて情報を発信する。すなわち最初にスタンスが決まっていて、それに合わせて情報の取捨選択、解釈を行っている場合がほとんどである。現在の科学の世界では情報量が多すぎて、レオナルド・ダ・ビンチのような万能科学者は存在し得ないのだ。
私自身にも個人の思考バイアスがある。だがそのバイアスは新型コロナウイルスに関するものではなくテクニカルなものだ。私の専門はゲノム科学という生物学の一分野だが、思考の中心は、専門とは直接関係がない統計学だ:統計学的に正当なプロセスで情報が扱われているかどうか、という点に最も関心がある。"Real world data"、すなわち現実世界の実データの中で、バイアスが少なく使用可能なのは、私の基準では、超過死亡だけだ:"real world"の感染者数、重症者数、コロナによる死者数などは、いろいろな要因に影響されるため扱わない。
超過死亡は日本では認められないので米国と英国について調べてみた。
precision-medicine.jp
結論を繰り返すと
1.インフルエンザと同様新型コロナウイルスも冬期に超過死亡が増加する傾向がある。
2.2021年度春期は2020年度と比較して超過死亡が減少(米国)、あるいは消失(英国)している。コロナ対策の成功やウイルスの弱毒化などの原因が考えられるが、ウイルスの影響は抑制されているようだ。
医学研究におけるゴールド・スダンダード:無作為割付2群比較試験
これまで"real world data"について述べてきたが、医学研究では"real world data"はあまり使われない。例えば、がん領域で"real world data"の必要性が注目されだしたのは、この数年の傾向だ。医学研究の基本は2群比較試験である。ワクチンを例に上げると、試験対象者をワクチン接種と非接種の2群にわけて経過観察、感染したかどうかを調べる。2群比較試験では2つの重要なポイントがある。まず、2群の性質が同じでなければならない。人には性別、年齢、人種など様々な属性があるが、これらの頻度が2群で同じでなければならない。例えば、ワクチン接種群で感染者が少なくても日本人が接種群で多ければワクチンの効果か日本人が感染しにくいのかわからないためだ。試験参加者を完全にランダムに2群に振り分けると(「無作為割付」と言う)、試験参加者数が十分多いとすべてのバイアスを完全に消す事ができることが数学的に証明されている。ワクチンを含む医薬品が政府の承認を取得するためには、無作為割付2群比較試験での有効性証明が原則である。イベルメクチンをWHOや各国政府機関が認めないのは、無作為割付2群比較試験が行われていないためである。
2つ目のポイントは、少数、たいてい一つか二つの項目しか評価してはならないことだ。例えば、ワクチンの試験では、感染率が主要評価項目で重症化率が副次評価項目となっている。これは専門的に云うと「統計学における多重性」のためである。おみくじを引くとき、一回引いただけでは大吉は必ずしも出ないが、何回も引くとかならず出る。これと同じで、2群比較試験でも評価項目が多いと、誤った答えがたまたま出る確率が上昇する。そのため、評価項目数を制限するわけだ。なお、比較試験の感染率や重症化率は、厳密に定義され収集されるため、"real world data"のデータとは全く別物で、正確である。
デルタ株に関する症例対照研究
先進国の中ではデルタ株は英国で拡大を始めており、デルタ株に注目した2群比較研究が行われている。この比較研究は症例対照研究というカテゴリーに入る。先に述べた作為割付2群比較試験では先に計画をたててデータを取得していくが、症例対照研究では過去のデータを用いる。そのため比較する2群のバイアス(性別、年齢、人種など様々な属性の頻度の違い)を除くことはできない。無作為割付2群比較試験のような計画を立ててデータをこれから取得する試験は「前向き」、過去データを用いる研究は「後ろ向き」と呼ぶが、「後ろ向き」は信頼性が低く、例えば「後ろ向き」研究では医薬品の政府機関承認は得られない。以下2つの研究は信頼性には問題があるが、これまでの研究の中では最もましなものであろう。
スコットランド
スコットランド全域をカバーするEAVE IIIというCOVID-19調査プラットフォームを用いている。住民の99%、640万人のデータを登録している。使用したデータは2021年4月6日から6月6日までで、COVID-19様の症状でPCR検査を受けた人の中でSARS-CoV-2感染確定例を症例、陰性例を対照とした。この期間1万9543人がSARS-CoV-2感染確定例で、うち7723人(39.5%)がデルタ株陽性だった。全体で377人入院しており、そのうちデルタ株陽性は134人(35.5%)だった。デルタ株は4月中は殆どなかったが、5月になって増え、5月末には全体の60−70%に達していた。ワクチン接種は4月1日時点では一回接種が人口の44.7%、2回接種が7.6%だが、6月6日には91.2%と15.9%になっていた。ワクチンはファイザーかアストラゼネカ製である。
コロナ陽性者(症例)とコロナ陰性者(対照)の症例対照研究の結果を図1に示す。まずデータの読み方を説明しよう。入院リスク(対非デルタ株)で説明すると、1.85は推定値で、絶対的な答えではない。1.39−2.47は95%信頼区間で、1.39から2.47の間に95%の確率で入院リスクの真の値が存在することを示している。入院リスクはデルタ株で高くアルファ株よりも重症化しやすいことが読み取れる。入院リスクに対するワクチンの効果だが、点推定値では差があるように見えるが、95%信頼区間が大きく重複しているために統計学的には差がない、と解釈する。ワクチンの対感染有効率はファイザー、アストラゼネカともデルタ株で低い。
まとめると、デルタ株はアルファ株より重症化しやすい可能性がある。ただしこの研究の対象者は症状があってPCR検査を受けた人である:症状のない人、すなわち不顕性感染者は含まれていない。従って母数が感染者の場合、重症化率が高いかどうかはわからない。
イングランド
イングランドの症例対照研究はスコットランドの研究と同様コロナ陽性者を症例、陰性者を対照として解析を行っている。ウイルスゲノムのシークエンスデータあるいはPCR検査のデータストックに臨床データをリンクさせて解析を行っている。シークエンスデータの存在はスコットランドの研究との違いのひとつだ。検体は2020年10月26日から2021年5月16日までに採取されたものである。
イングランドの研究では、入院リスクは評価していない代わりに、1回接種と2回接種の効果について調べている。結果の一部を図2に示す。
スコットランドの研究と同じく、デルタ株でワクチンの効果は認められるが、アルファ株よりは弱い傾向がある。この傾向は1回接種で顕著である。
まとめ
デルタ株に対するワクチンの感染防御効果は認められが、アルファ株よりは弱い傾向がある。入院リスク、すなわち重症化リスクはアルファ株よりも高いデータが出ているが、さらなる検討が必要である。しかしアルファ株よりも弱毒化していることはなさそうである。
文献
スコットランドの症例対照研究
Sheikh, A., McMenamin, J., Taylor, B. et al. SARS-CoV-2 Delta VOC in Scotland: demographics, risk of hospital admission, and vaccine effectiveness. Lancet 2021; 397: 2461-2462. DOI: 10.1016/S0140-6736(21)01358-1
イングランドの症例対照研究
Bernal, J.L.m Andrews, N., Gower, C. et al. Effectiveness of Covid-19 Vaccines against the B.1.617.2 (Delta) Variant. New Engl J Med. 2021. DOI: 10.1056/NEJMoa2108891