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無調音楽

芸術に造詣が深い友人の薦めで、いずみシンフォニエッタ大阪の演奏会へ行った。生誕70年、80年、90年、100年の作曲家を集めた特集だ。
 
新・音楽の未来への旅シリーズ
いずみシンフォニエッタ大阪 第50回定期演奏会
「50回記念 ―生誕60,70,80,90,100年特集」
生誕100年
G.リゲティ:ミステリー・オブ・マカーブル(1991)
生誕90年
K.ペンデレツキ:弦楽のためのシンフォニエッタ (1990/1991)
生誕80年
池辺晋一郎:降り注ぐ・・・―室内オーケストラのために(2005 )
生誕70年
西村 朗:三重協奏曲〈胡蝶夢〉~ヴァイオリン、ハープ、クラリネットと管弦楽のための(2023)
 世界初演/いずみシンフォニエッタ大阪、東京シンフォニエッタ共同委嘱

 

基本的に現代音楽、厳密には無調の音楽は普通聴かない。が、極稀に無調の音楽を聴きたい!!、という欲求が湧いてくる時がある。そういうときは、大抵バルトークの弦楽四重奏曲、とくに第4番を聴いて、発散し、バルトークの弦楽四重奏曲は傑作だ、と改めて認識するのだ。しかし基本的に無調の現代音楽は人の感性に反した音楽で、バロックからJPOPに至る大部分の音楽とは異なり、普通の人が音楽に求めているものではない。欧州の作曲家が無理矢理捻出したものだ、と考えている。欧州の人々は文明の進化という考えに取り憑かれており、科学だけではなく芸術も常に進歩しなければならないと考えている。クラシック音楽においては、十二音技法は代表的な例で、技法を確立したシェーンベルグは「西洋音楽の寿命を百年延ばした」と言っていた。進歩に執着するあまり、人の感覚では受け付けない音楽になってしまった、とずっと考えていた。

 

この考えが大きく変わったのは、キングスカレッジチャペルでの吹奏楽のコンサート(1989年か1990年)だった。演奏団体は覚えていないが、モーツアルトとメシアンのプログラムで、メシアンの演目は、Et exspecto resurrectionem mortuorum(我死者の復活を待ち望む)だった。この演奏で、無調音楽の方向性、意図する効果を完全に理解した。映画やドラマの緊張して引き込まれる場面の背景音楽に無調音楽が使われることが時々あるが、このメシアンの音楽は、音楽だけで、その緊張感と没入感を作り出していた。無調音楽は普通の音楽とは全く異なった範疇のものだ。原始時代、狩りで獲物を狙っている時や獣に襲撃に注意をしているときに、周囲の物音に耳をそばだてている。その時の緊張感を再現しているのだ。すなわち、もともと人々が原始時代狩猟など生活のなかで、特別な注意を払っている自然音がルーツで、その緊張感を体系的に引き出しているのが無調音楽なのだ。

 

キングスカレッジチャペルの体験を録音で再現しようと試みたが、これは完全な不成功に終わった。多分効果を出すためには、音量が必要なのだと思う。私の再生装置Yoshii9は、発明者の由井氏によれば家庭用ということで、大音量には適していない。Et exspecto resurrectionem mortuorum(我死者の復活を待ち望む)の再生には出力が足りないのだろう。無調音楽が聴きたいときは、先にも書いたようにバルトークの弦楽四重奏曲、メシアンの時の終わりの四重奏曲、カラヤン指揮ベルリン・フィルのものを極稀に聴く。カラヤン-ベルリン・フィルの音色は無調音楽でも美しく響き。ベルグの抒情組曲など結構良い。

 

さて今回のコンサートだが、極稀に発生する無調音楽を聴きたい気分でもなかったので、特に感想は無かった。ただし西村朗氏の談話では、随所に欧州流の文明の進歩というオブセッションがあらわれていた。