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ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 Wiener Philharmoniker

第58回大阪国際フェスティバル2020

ワレリー・ゲルギエフ指揮

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

日時:2020年11月6日(金)19:00開演(18:00開場)

会場:フェスティバルホール

指揮:ワレリー・ゲルギエフ

独奏:堤剛(チェロ)

デニス・マツーエフ(ピアノ)

管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

曲目:

チャイコフスキー/ロココ風の主題による変奏曲 イ長調 作品33

プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第2番 ト短調 作品16

チャイコフスキー/交響曲第6番 ロ短調 作品74「悲愴」

 

1990年前後英国に留学していたが、留学のハイライトはサイエンスではなくてウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(ウィーン国立歌劇場管弦楽団)だった。特に弦楽の音色が素晴らしく、数秒聴くだけで恍惚となった。今まで日本で聴いていたクラシック音楽は何だったのか、本当の音楽は全く別のものだ、という強い印象を受けた。帰国後はコンサートやオペラに行く機会も減ったが、非常に優れた再生装置を手に入れたることができたので、もっぱら自室で音楽を聴いている。録音再生が難しいのは、スピーカーに筐体に反射した音による振動と筐体自体の振動が伝わって、録音媒体からの電気信号による振動が歪められるためである。筐体由来の振動の影響を完全に遮断した再生装置で聴くと生演奏とほぼ同じ音楽を聴くことができる。私の再生装置は独奏、室内楽は完全、オペラ、合唱でも実演とほぼ同じ聴覚効果が得られるが、オーケストラは音源が複雑で多いためか少し難しい。それでも普通のオーケストラの音色なら結構再現できる。特にカラヤン&ベルリン・フィルハーモニーの音楽は録音向きで、私の記憶にある生演奏の音色と全く同じである。しかしウィーン・フィルハーモニーの音色の再現は難しい。どの録音も音色のある側面を捉えてはいるのだが、すべての特徴を捉えてはおらず、結果的に生の音色とは違ったものになってしまう。

1990年代以降のグローバル化に伴い、オーケストラ奏者も国際的なマーケットで雇用されるようになり、それぞれのオーケストラの地域的な特徴がなくなって音色が均一化してきている、と云われている。2000年代に入るとウィーン・フィルハーモニーについても色々と悪い話を聞くようになってきた。1997年から女性団員が入団するようになったが、ベテラン楽団員の話では「やはり女性を入れるべきではなかった、音色が変わってしまった」。2005年にサイモン・ラトル氏によるベルリン・フィルハーモニーとウィーン・フィルの合同演奏会があった。ウィーン・フィルハーモニーは他のオーケストラとはピッチが異なるので、合同演奏は不可能なはずなのだが、ラトル氏によると「最近になって可能になった」。つまりどちらかのオーケストラ(多分ウィーン・フィル)がピッチを変更して演奏できるようになっていた、というわけである。また信頼できる(音楽について)私の友人も「ウィーン・フィルはもうだめになってしまった」という意見だった。一度コンサートに行って事実かどうか確認しようと考えていたが、なかなが良いチケットを得る機会がなかった。

オーケストラ演奏は、オーケストラ、指揮者、コンサートホールの3つのファクターに影響される。オーケストラのみを評価するためには指揮者とコンサートホールの2つのファクターの影響を除去する必要がある。ウィーン・フィルハーモニーの場合は、自身にあった指揮者を自分で選ぶので、指揮者のファクターは考慮しなくてよい。コンサートホールというファクターはオーケストラのすぐ前の席(あるいはすぐ後ろの席)で聴くことで排除できる。オーケストラ直近の席では、オーケストラの音を直接聴くことになるので、コンサートホールの音響効果の影響を受けないためである。そのため私は、出来る限りオーケストラに近い席を取るようにしているのだが、人気のあるオーケストラの日本でのコンサートでは難しい。大抵予約の電話がかからず、かかったときには既になくなっているのが通例である。今回は新型コロナウイルス対策のため空席にしていた分のチケットの販売だったためか良い席が残っており、オーケストラ直近の席が手に入った。ウィーン・フィルハーモニーはマーラー以外の後期ロマン派(ワーグナー、ブルックナー、リヒアルト・シュトラウス)とヨハン・シュトラウスで最もその特性が発揮され、その次が同時代の他の作曲家、ブラームス、チャイコフスキー、ドヴォルザークが良い。今回はチャイコフスキー中心だったので、オーケストラの音色を堪能・評価するには良いブログラムだった。

非常に良いコンサートで、記憶に残っているウィーン・フィルハーモニーの音、録音では再現できない音、を聴くことはできた。しかしながら留学時ウィーンで経験した「数秒聴くだけで恍惚となる」ということはなかった。留学時から30年ほど経過しているので私自身の聴覚が変化したためかもしれないが、やはりウィーン・フィルハーモニー自体の音色も変わってしまった気がする。特に弦楽器の高音を固く感じることが時々あり、終始柔らかかった当時の記憶とは異なっている。やはり噂通り本来の音色が失われた可能性が高い。

1990年代のコンサートでは、アンコールに”必ず”ウィンナワルツを演奏していた。ところが、この演奏会では私の知らない小品だった。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のカルチャーが変容してしまった客観的かつ象徴的な事象である。そのうちウィーンへ行って国立歌劇場か楽友会ホールで確認することにするが、19世紀からの文化継承は途絶えてしまったようである。

歴史的には、ブルーノ・ワルターが1897年に初めてウィーン・フィルハーモニーを聴いて“人生が変わる強烈な印象”を受けた、と1960年のインタビューで述べている。そして1960年でもウィーン・フィルハーモニーは1897年と全く同じ、と云っている。ブルーノ・ワルターの体験は私の体験と似ているので、1990年のウィーン・フィルハーモニーの音色は多分19世紀のものと同じだったのではないか、と推察している。

11月6日の演奏は、私にとってはウィーン・フィルハーモニーの音楽というよりもゲルギエフの音楽だった。それなら私の再生装置でも同様の効果を得る事ができるだろう、と考えて、翌日手持ちの録音をいくつか試してみた。ムラビンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニーで、前日と同じ感動を得ることができた。