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クァルテット・インテグラ演奏会:ベートーヴェン弦楽四重奏曲第14番のヒント

2024年2月17日青山音楽記念館バロックザールでクァルテット・インテグラを聴いた。演目はベートーヴェン弦楽四重奏曲第14番、第15番、第16番、ハイドンの弦楽四重奏曲 第37番 op.33-1 第4楽章(アンコール)だった。

barocksaal.com

16番で疲れたのか若干テンションが下がったものの、14,15、アンコールと通して高密度の演奏だった。ベートーヴェンの弦楽四重奏は8種類のセットを持っているが、音色は異なるものの、曲から受ける印象・感動は殆ど変わらない。クァルテット・インテグラも普段自宅で聴いている他の弦楽四重奏団と違いのない素晴らしい演奏だった。音色は東京弦楽四重奏団に類似していると感じた。弦楽四重奏はオーケストラやピアノと異なり4人のコンセンサスで解釈が決定されるので解釈の自由度が制限される。もともと個性の振幅が狭いため、現代の他の楽器の演奏家に共通して見られる個性の欠如が弦楽四重奏にはないのではないか、と考えた。ホールの特性上適度の残響あり、そのため音の分離は自宅で録音を聴く方が良い。

 

今回の演奏会の収穫は、第14番と第15番を連続して聴くことにより、これまで全くの謎だった第14番の本質を掴むヒントが得られたことだ。以前にもまとめたが、第14番は私にとって謎の曲だ(ベートーヴェン弦楽四重奏曲第14番作品131:西洋音楽史上最高の名曲)。歴史上の作曲家のコメントがすごい。

ベートーヴェン本人:会心の作。新しい作曲法だ、神に感謝しないと。まだ創造力は衰えていない。
シューベルト:初演を聴いて「この作品の後で、私たちは何を書けるのだ?」
シューマン:弦楽四重奏曲第12番と第14番について「人間の芸術と創造で成し遂げられる極限」
ワーグナー:第一楽章について「器楽でできる最も深い悲しみの表現」
レオナード・バーンスタイン:自身の録音には執着がなく、いわば撮りっぱなしだったが、ウィーンフィルと録音したこの曲のオーケストラ版は特別だった。自身の録音中最高と考え、妻に献呈している。

これらの発言と自身の印象との乖離が甚だしく、疑問を解消するために7つの団体(アルバン・ベルク、ラサール、イタリア、ズスケ、タカーク、ブダペスト、東京)のセットを揃えて第14番を何度も聴いたが、傑作と呼ばれる所以がさっぱりわからなかった。モーツァルトやバルトークは特に好きではないが、傑作と呼ばれている曲が傑作であることは(音楽的に)察知できる。ところが第14番だけは、まるでわからないのだ。特に4楽章など奇妙な音楽にしか聴こえない。今回第14番と第15番を連続して聴くことにより、第14番の特異性が少しわかった。第15番を含め古典派の楽曲は楽章ごとが区切られた別個の音楽になっているが、第14番は全7楽章が連続しており、全体として一つの音楽になっている。第15番は楽章ごとに区切りがあり、音楽は中断する:演奏者も聴衆も小休止し、仕切り直しで新しい音楽が始まる。第14番はこのような中断のない連続体なのだ。第14番の特性は作曲技法上のもので、多様な音楽の連続体であることが多分作曲家にとって重要なのだ。そのため歴史上の大作曲家が揃って特別な傑作と評価するのだろう。

少し前にフルトヴェングラーの「音楽を語る」を再読した。40年以上前に読んだ本だが、当時の記憶は残っていない。フルトヴェングラーは、古典派の音楽の形式、ソナタやロンドなどの形式は素材としてのメロディーをドラマに変換するものだ、と述べている。メロディーだけなら、数十秒から数分で人々は緊張感を失い音楽から離れていくが、古典派の形式に則ってメロディーを展開することにより音楽によるドラマができて長い時間音楽を続けることができる。古典派の音楽形式は楽章単位で、楽章ごとに別のドラマになる。第14番は7楽章の連続体で全体で一つのドラマをつくっている。従来の古典派の音楽形式から逸脱しているので、ベートーヴェンが「新しい作曲法」と云ったのだろう。第14番と同じ多楽章連続体の音楽は他にあるのか、と考えたが、ちょっと思いつかない。逆に考えれば、古典派の形式のような普遍性は第14番の作曲技法にはない、ということだ。

 

クァルテット・インテグラの演奏会はベートーヴェン後期の大型弦楽四重奏曲を2曲連続で演奏するという滅多にないプログラムで第14番の特異性を浮き立たせた貴重な体験だった。しかし再び2曲連続で聴く気にはならないが。