HER2 を標的にした治療は乳癌と胃癌では確立しており、標準治療になっている。しかしながら肺癌では確立した治療薬はない。抗体薬物複合体(antibody-drug conjugate, ADC)とチロシンキナーゼ阻害剤について初期臨床試験が行われている。抗体薬物複合体にはトラスツズマブ エムタンシン trastuzumab emtansine(開発コード T-DM1、商品名 カドサイラ Kadcyla)とDS-8201a がある。チロシンキナーゼ阻害剤には、非可逆 EGFR/HER2-TKI であるアファチニブ afatinib と、非可逆汎 erbB 受容体チロシンキナーゼ阻害剤であるネラチニブ neratinib、ポゾチニブ pozotinib、ピロチニブ pyrotinib がある。
遺伝子異常:増幅と変異
HER2 は erbB 受容体チロシンキナーゼファミリーに属する蛋白質であるが、EGFRなど他のファミリーメンバーとは異なり、リガンドの結合なしに二量体をつくって PI3K/AKT/mTORC1 情報伝達系と ERK/MAPK 情報伝達系を活性化する(図1)。
肺癌でみられる HER2 の異常としては、蛋白質の過剰発現と遺伝子の異常がある。遺伝子異常としては増幅と変異があり、この2つは排他的である。非小細胞肺癌における頻度は、増幅は5−20%(多分測定法の違いでばらついている)、変異は3%前後である。変異部位はキナーゼ領域にあたるエクソン20の挿入変異が多い。G776のYVMA挿入(A775_G776insYVMA)が80−90%を占める。また HER2 増幅の頻度は EGFR-TKI の治療前後で異なり、EGFR-TKI 耐性患者では13%だが、治療前では3%、という報告がある。
抗体薬物複合体の臨床試験:T-DM1 、DS-8201a
トラスツズマブ trastuzumab のいくつか試験で、化学療法に対する上乗せ効果は認められなかった。そのため抗癌効果を補強した抗体薬物複合体の臨床試験が行われている。抗体薬物複合体は抗HER2抗体と細胞毒性物質の複合体である。T-DM1 はトラスツズマブとエムタンシンの複合体で、トラスツズマブが癌細胞の HER2 に結合して情報伝達系を障害、エムタンシンが細胞内に入りチューブリンに結合し重合を阻害する。DS-8201a は第一三共が開発した新しい世代の抗体薬物複合体で、トラスツズマブとトポイソメラーゼ阻害剤 Dxd の複合体である。Dxd が細胞に取り込まれて細胞死を引き起こす。蛋白過剰発現の症例では効果はないが、HER2 変異あるいは増幅症例では、奏効率44%(T-DM1 変異)、50%(T-DM1 増幅)、62.5%(DS-8201a 変異増幅)と有望な結果が得られている(図2)。
受容体チロシンキナーゼ阻害剤の臨床試験:アファチニブ、ポゾチニブ pozotinib、ピロチニブ pyrotinib
非可逆 EGFR/HER2-TKI であるアファチニブと、非可逆汎 erbB 受容体チロシンキナーゼ阻害剤の neratinib±temsirolimus、pozotinib、pyrotinib の臨床試験があるが、neratinib 単体以外はある程度の効果(奏効率33−50%)が認められた(図2)。テムシロリムス temsirolimus(商品名 トーリセル Torisel)は mTOR 阻害剤で、neratinib だけでは効果がないが、PI3K/AKT/mTORC1 情報伝達系の下流を障害することにより、抗がん作用を惹起している。汎 erbB 受容体チロシンキナーゼ阻害剤の場合は pozotinib、pyrotinibともに有害事象が問題である。Pyrotinibではグレード3以上の有害事象が28.3%で、とくにグレード3の下痢が20.0%であった。
文献
Zhao, J. snd Xia, Y. JCO Precis Oncol 2020 4:411-425. DOI: 10.1200/PO.19.00333
Zhou, C. et al. J Clin Oncol 2020 38: 2753-2761. DOI: 10.1200/JCO.20.00297