精密医療電脳書

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新型コロナウイルス禍によりがんの発見と手術が遅れるため、がんによる死亡が増加する

新型コロナウイルスのために一般医療が妨げられている。大きな原因は2つあって、ひとつは人々が感染を恐れて医療機関を受診しなくなること。もう一つは新型コロナウイルスに対応するために、医療機関の負担が増大し、一般の医療があとまわしになっていること、である。死に至る疾患としては、脳卒中、心筋梗塞、がんがあるが、脳卒中と心筋梗塞は急性期医療が新型コロナウイルと競合するため、どの程度新型コロナの影響をうけているのか、わかりやすい。ところが、がんの場合は現在の治療の遅れが、死亡の増加として現れるまで数年かかるため、わかりにくい。最近英国から、診療の遅れが、がんによる死亡にどのように影響を与えるか調べた2つの研究報告があった。これらの研究から、日本ではどうなるのか、考えてみる。

まず英国での状況はどうだったかというと、3月23日に都市封鎖(ロックダウン)が開始され、徐々に緩和されるものの、完全解除は7月10日で、3ヶ月半続いたことになる。英国が他の西欧諸国と異なる点は、最初3月13日にスウェーデンと同じロックダウンしない集団免疫政策を決定し国民に伝えた後、すぐに撤回してロックダウンに踏み切った点にある。このゴタゴタが医療と経済に悪影響があった、と考えられており、死者数は欧州では最悪(約4万1300人)、4−6月期のGDPも前期比20.4%減でこれも欧州最悪であった。医療環境もかなり劣悪だったと思われ、こういう前提のもと、以下の研究について考える必要がある。

 

がんの発見・診断遅延の影響

マリンジュ Maringe 博士らのグループは、がんの発見の遅延が、がんによる死亡にどう影響するか予測した。英国の制度では、一般開業医が病院を紹介する場合3つのルートがある。急ぎでない通常の紹介と、がんの疑い等緊急を要する場合の「2週間待機」紹介、そして救急搬送である。「2週間待機」紹介は英国独自の制度で、この場合は、2週間以内に設備の整った病院を受診する。ロックダウン時は、通常の紹介とがん検診がなくなった。また地域や施設によっては「2週間待機」紹介の件数が通常の約80%減っていた。これらのことから初期がんの発見は激減している、と考えられる。

マリンジュ博士らは、新型コロナウイルスの影響が1年続くと仮定して、乳がん、大腸がん、肺がん、食道がんの5年後の死亡率への影響を予測した。過去データとの比較で死亡率の上昇は、乳がんの場合は7.9から9.6%、大腸がんでは15.3から16.6%、肺がんでは4.8から5.3%、そして食道がんでは5.8から6.0%であった。影響が大きかったのは大腸がんと肺がんであった(肺がんは比率での上昇は少ないが、死亡患者数が多い)。

日本は、英国とは状況がかなり異なる。まず日本では厳格なロックダウンは行われていない。しかしながら、自発的な自粛で英国の「通常の紹介」に相当する部分は、日本でもかなり減っていたと思う。それに伴い「2週間待機」紹介に相当する医療も多少減少し、またがん検診も非常事態宣言のときには停止していた。影響は英国よりは少ないと思われるが、英国での予測数値が一桁以上異なるということは考えにくい。仮に英国の3分の1の死亡率上昇とすると、5年後の死亡者数の増加は、乳がん、大腸がん、肺がん、食道がんそれぞれ430人、2700人、1300人、220人となり現在(8月26日)の新型コロナウイルスの死亡者数1201人を大きく越えることになる。英国の10分の1とした場合でも130人、810人、380人、70人、合計1390人である。新型コロナウイルスによるがん死の増加は数千人といったところだろうか。

 

外科手術遅延の影響

マリンジュ博士らの研究は、がんの発見診断についての研究であるが、サッド Sud 博士らは、治療への新型コロナウイルスの影響を調べた。英国では、年間約9万5千件の手術がおこなわれ、約8万件が寿命の延長に成功している。サッド博士らは、がんの外科手術の遅延による生存期間の損失を評価している。外科手術が6ヶ月遅れた場合の生存期間の損失は、新型コロナウイルス入院患者の生存期間延長の約60%に相当する(詳細は注1)。

日本の場合は、英国よりも新型コロナウイルスの悪性度が低く死亡率が低いため、入院治療による生存期間延長は少ない。新型コロナ患者の場合は比較的軽症であっても、かなりの医療資源を取られるため、他の治療への影響は日本のほうが大きく見える。しかし、英国のほうが、はるかに医療環境が切迫していたので、影響は大きいはずである。この問題は、いろいろ相反する要素があるため、日本での状況を類推することは難しい。

 

日本でも研究が必要

医療の中での歪みについては、議論されてはいるものの、科学的な解析は行われていない。本稿で紹介した論文は国際的にはじめての解析だが、日本でも同様の解析が必要であろう。呼吸器疾患は一般的に冬期に悪化する傾向があるため、冬期の新型コロナウイルスに備えることが、現在の最優先課題である。冬期を乗り越えた後で新型コロナウイルスによる他の医療の損失、特にがん診療の損失を科学的に評価して、医療資源配分を調整する必要がある。

 

 

注1.治療効果を評価する指標の一つに、生存期間の延長(Life Years Gained, LYG)がある。がん患者一人当たりの手術による平均LYGは18.1年だが、手術が3ヶ月あるいは6ヶ月(3/6ヶ月)遅延すると、17.1/15.9年になり、損失は0.97/2.19年になる。同様に新型コロナウイルスについてもLYGは計算可能で、一人あたりの入院治療のLYGは5.08年である。外科手術と新型コロナウイルス入院患者のLYGを比較するために、病院リソース、すなわち必要な医師看護師の労働量でLYGを補正すると、3/6ヶ月手術遅延のLYG損失は、新型コロナウイルス入院治療のLYGの26%/59%に相当する。

 

注2.正確に書いたつもりだが、かなりはしおった紹介になったので、読める人は原著論文を読んだほうがよい。

 

原著論文

がんの発見・診断遅延の影響

Maringe C, Spicer J, Morris M, Purushotham A, Nolte E, Sullivan R, et al. The impact of the COVID-19 pandemic on cancer deaths due to delays in diagnosis in England, UK: a national, population-based, modelling study. Lancet Oncol 2020;21(8):1023-34. DOI: 10.1016/S1470-2045(20)30388-0

外科手術遅延の影響

Sud A, Jones ME, Broggio J, Loveday C, Torr B, Garrett A, et al. Collateral damage: the impact on outcomes from cancer surgery of the COVID-19 pandemic. Ann Oncol 2020;31(8):1065-74. DOI: 10.1016/j.annonc.2020.05.009