水谷豊の相棒20第14話「ディアボロス」を見て、ハスキルとコルトーのエピソードを思い出した。クラシック音楽に関係した最も悲しいエピソードだ。
クララ・ハスキル(Clara Haskil, 1895 - 1960)はルーマニア出身のピアニストで古典派と初期ロマン派のレパートリーで有名だ。チャールズ・チャップリンが生涯に出会った3人の天才の一人(他はチャーチルとアインシュタイン)に上げている。その録音は現在でも多くの人に愛聴されている。
一方アルフレッド・ドニ・コルトー(Alfred Denis Cortot, 1877 - 1962)は、20世紀前半のフランスを代表するピアニスト、指揮者、教育者、著述家である。録音も多数残されているが、ノイズが多くダイナミックレンジが狭い。しかし、他のピアニストにはない独特で感動的な演奏を聴くことができる。
ハスキルはコルトーの弟子の一人だが、同時期に同じくコルトーに師事していた遠山慶子氏が、著書「風と光のなかで」の中で、そのエピソードを紹介している。複数のサイトが紹介しているが、ここでは原文をそのまま掲載しているものを転載する。
「同門のクララ・ハスキルは10歳くらいのときにルーマニアからパリに来てコンセルヴァトワールのコルトーのクラスに入学した。あなたは先生に可愛がっていただいて良いわね。とハスキルに言われたことがある。他の生徒は一所懸命に教えるのに彼女はいつも後回しでレッスンの時間が足りない羽目になったんです。まわりの人はハスキルの音楽性がすごいので先生はあんまり教えることがないと思っていたようですけど。ハスキルはコルトーに自分の演奏を聴いてもらいたいので先生に手紙を書いた。どうか私の音楽会のために時間をつくっていただけないでしょうか。先生に聴いていただきたいと心より願っています、と。ところがコルトーは行かなかった。ただコルトーは、ハスキルのコンサートに行った私に、どうだった?と尋ねた。心にはかけていたんです。ある日レッスンを終えてコルトーと私は車でレマン湖のほとりに行き散歩をしたんです。クララに必要なことは放っておくことだ。クララはバランスがとれないような、孤独な時にもっとも素晴らしいものを生み出す才能なのだ。生涯満足をさせないことが彼女を生かす道なのだ、と。実にずしりと心にひびく話がうかがえた。」
ハスキルは生涯コルトーの配慮を知ることはできず誤解したまま、そしてこのような状況を師のコルトーが故意に作り出しているという、なんともやるせない逸話だ。コルトーは、ハスキル個人の意思にかかわらず、音楽のために、精神的な不安定、孤独を強要する。学問でも芸術でも、人生のほかの部分とは切り離して研鑽を積むことができる。しかし、コルトーはハスキルの場合はそれだけでは不十分で、自分の人生の別の部分を犠牲にしなければならない、と考えたのだ。コルトーのこのような考え方は、20世紀前半の文化的背景に基づいているのか、彼個人のものなのかはわからない。しかし現在の教育者には、このように考える人は多分いない。コルトーのような教育者は排斥されるだろう。するとハスキルのような才能は失われるのだ。20世紀には多様な個性を持った演奏家が多数いたが、現在は失われ均一化してしまった。ハスキルとコルトーのエピソードは、文化、社会背景が大きく変わってしまった現在では起こらないだろう。
ハスキルの心が幸福に満ちたときに、彼女の音楽から一体何が失われるというのか? そしてこの喪失を回避する別の方法はないのか?
ハスキルの録音の中で最もよく聴く録音は、グリュミオーとのベートーヴェン・バイオリン・ソナタ全集だ。初めて聴いて以降、他の演奏家でこれらの曲を聴くことは殆どなくなった。ただし、二人の音楽家よりも、ベートーヴェンの偉大さを痛感する。ベートーヴェンの創作は初期、中期、後期の3期に分けられ、漸次作曲技法が進化して行った、と云われている。しかしこれらの演奏を聴くと、ベートーヴェンは最初から完成した作曲家で、単に作曲のスタイルを変えただけ、と思えてくる。
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スポーツは芸術とはだいぶ異なる。昭和のスポーツでは、精神論が強く、選手は非常識な訓練を強要されることが多かった。現在では、スポーツ科学に基づく合理的な練習が一般的である。スポーツは、すべての要素をパラメータ化できるが、芸術の場合はパラメータ化できないものが多く、パラメータ化できない部分に関しては合理的訓練法をつくれない、ということだろう。