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フルトヴェングラーのバッハ観:chatGPTによるでたらめなレポート

Johann Sebastian Bach by Henri Matisse (Stable Diffusion)

ヨハン・セバスティアン・バッハは「最後のバロック音楽の大家」と呼ばれるが、バロック音楽の手法で作曲しているが、聴いて得られる感動はまさしくロマン派の音楽から得られるものだ。他のバロック音楽の作曲家とは全く異なる。従って、ロマン派以降に完成したフルオーケストラでの演奏が最も効果的で、最近の古楽器での演奏はバッハの真髄を伝えていない、と思う。

特に気に入っているのがカンタータBWV140の最初の曲で、大きな官能と愉悦を与えてくれる。


www.youtube.com

 

長年「バッハはバロックの巨匠といわれるが、本当はロマン派だろう」と思っていたが、フルトヴェングラーも同じ考えであることを知って、自分の考えは間違っていたわけではない、と納得した。レコード芸術99年7月号に翻訳掲載されていた(フルトヴェングラーへのインタビュー 1953)スイス人評論家アンリ・ジャトン(Henri Jaton)が1953年に行ったインタビューの中で言及している。該当箇所は以下の通り。

フルトヴェングラー
「私はリヒャルト・シュトラウスがロマン主義の最後の象徴とは思っていません。彼はベッリーニ同様「バロック様式におけるヴィルトゥオーゾ」でした。つまり彼の視野や表現的な意図はすべて外界にのみ向けられていました。そういう点から彼はロマンティックとは決して言えないと思います。私は彼の作品を尊重しています。しかしなぜ彼のような偉大な生産的な巨匠でさえも、「せざるを得ないことを不平も言わず行う美点」に甘んじてしまったのかよくわかりません。ロマンティクな着想とはどういう意味でしょうか。ヴァーグナーのテクニカルな面で完璧な音楽やショパンのピアノ作品をロマンティックであるとは私には到底思えません。作曲家がロマン派であろうが古典であろうが現代音楽であろうが、各人にとって音の本質を技術的に知り尽くすことが重要であったことは共通しています。そしてロマン主義に異議を唱え、より客観的な法則である合理性を支持する人々は、その最も偉大な象徴であるヨハン・セバスティアン・バッハが多くの作品で、特に受難曲では、音楽史上最高の「ロマン派」であったことを忘れています(マーキング by KK)。」

 

このインタビューをgoogle検索してみると、YouTube(Interview By Henry Jaton: Part I - YouTube)ではあったが、文字起こし(原語あるいは英文)は見つからなかった。

 

アンリ・ジャトンのインタビュー以外でフルトヴェングラーが彼のバッハ観について述べていないか、調べてみた。通常のGoogle検索では出てこない。そこでChatGPTに検索機能(WEBCHAT)ONにして尋ねてみた。入力文は英語で、

 

I remember that Furtwangler commented that Bach’s music should be regarded as romantic music. Please explore evidence in English and German pages, and answer in Japanese.(和訳:バッハの音楽はロマン派音楽としてとらえるべきだと、フルトヴェングラーがコメントしていたのを覚えています。英語とドイツ語のページで根拠を探り、日本語で回答してください)

すると次の様な回答が帰ってきた。

「ウィルヘルム・フルトヴェングラーは、第二次世界大戦中にドイツに留まったことで彼の遺産が影響を受けたが、彼は20世紀最大の音楽家の1人と見なされている。Bachの音楽がロマン派音楽として見なされるべきだと発言したというフルトヴェングラーのコメントに関する情報を調べた結果、明確な証拠は見つかりませんでした。しかしながら、フルトヴェングラーはBachの音楽を非常に愛しており、彼のレコーディングに多くの時間を費やしています[Wilhelm Furtwaengler: A Complex German Conductor ]。また、Bachの作品を演奏する際には、古典的な演奏スタイルではなく、より情熱的な演奏スタイルを好んだとされています[Johann Sebastian Bach - Reputation and influence | Britannica]。フルトヴェングラーの音楽的哲学は、音楽を単なる技術的なものではなく、感情的なものとして理解することにあったため、彼がBachをロマン派音楽と見なすかどうかは不明ですが、彼がBachの音楽を情熱的に演奏したことは事実です[The Disquieting Power of Wilhelm Furtwängler, Hitler’s Court Conductor | The New Yorker]。」

 

探していたエビデンスがない、という点ではGoogle検索の結果と同じだ。ただしchatGPTはフルトヴェングラーがバッハを情熱的に演奏した、と報告している。ところが、これは完全な出鱈目なのだ。3つの情報ソースを紹介しているが、どのページにもそのようなことは書かれていない。それどころか、フルトヴェングラーについて書かれた2つのサイトにはBachの文字はなく、バッハについて書かれた1つのサイトにはFurtwaenglerの文字がない。chatGPTの完全な創作なのだ。すなわち、最後の文章「彼がBachの音楽を情熱的に演奏したことは事実です」は事実ではない。検索結果が乏しい場合は、勝手に都合の良い回答をつくってしまう、ということなのか。

 

それでは、ということで、次のように訊いてみた。

先程の回答の3つのサイトを調べましたが、フルトヴェングラーがBachの音楽を情熱的に演奏した、とは記載されていませんでした。もう一度調べてください。

回答は、

「申し訳ありませんが、先程の回答に提供された検索結果の中には、フルトヴェングラーがBachの音楽を情熱的に演奏したという情報は見つかりませんでした。もしかすると、誤った情報を提供してしまった可能性があります。もう一度別のキーワードで検索してみてはいかがでしょうか?」

 

なかなか、ふざけた奴だ。chatGPTの検索機能に関する疑問は下のサイトに書かれていて、すでによく知られた事象のようだ。chatGPTはGPT-35ベースだが、bingに搭載されるチャット式検索はGPT-4ベースなので、このような問題は修正されているのかもしれない。

xtech.nikkei.com

 

同じ質問をPerplexity AIを使って調べてみた。Perplexity AIは最近もの調べに重宝している自動文章生成AIである。何回かのチャットの後、Perplexity AIは "Romantic Modernism: Bach, Furtwängler, and Adorno | New German Critique | Duke University Press" という文献にたどり着いた。この文献に基づいて次の様な議論を組み立てている。

「ヴィルヘルム・フルトヴェングラーのバッハに対するバイタリスト的アプローチとは、バッハの音楽は固定された存在ではなく、時間の経過とともに進化する生命体であるという彼の信念のことである[1]。フルトヴェングラーは、バッハの音楽は、歴史的に正確な方法で堅苦しく演奏されるのではなく、呼吸し、成長するように演奏されるべきであると考えたのである[1]。このアプローチは、フルトヴェングラーが否定した18世紀に戻ろうとする実証主義・歴史主義の試みとは対照的である[1]。
フルトヴェングラーのバッハに対する生命論的アプローチは、音楽の感情的・精神的側面を重視する彼の広義の後期ロマン主義の一部である[1]。フルトヴェングラーは、音楽は即興性と自発性を持って演奏されるべきであり、演奏者が音楽の独自の解釈を表現できるようにすべきであると考えていた[1]。このアプローチは、戦後に生まれた初期音楽運動の、より厳格で規則に基づいたアプローチとは対照的である[1]。
フルトヴェングラーがアルノルト・シェーンベルクをはじめとする新しい音楽に関心を持ったのも、彼の音楽に対する生命論的アプローチの一部である[1]。フルトヴェングラーは、新しい音楽は古い音楽と同じように即興性と自発性を持って演奏されるべきであり、時間の経過とともに進化し成長することを可能にすると考えていた[1]。このアプローチは、新しい音楽を伝統的なカノンに対する脅威とみなす多くのクラシック音楽家の、より保守的なアプローチとは対照的である[1]。

(文章中、[1]は"Romantic Modernism: Bach, Furtwängler, and Adorno | New German Critique | Duke University Press" からの引用を示している)」

 

ほぼ期待していた内容の解説になっている。これまでのPerplexity AIの使用経験では1度2008年の情報をもとに現在の状況を説明する、という誤りを犯したが、それ以外は好調である。情報収集という点では、Perplexity AIは結構使えるツールだ、という印象を持っている。

 

なお、perplexity AI を知るに至った経緯だが、もともと私の息子がサークルの先輩(文学部言語学科の院生)から、レポート作成用に教えてもらったAIである。息子はレポート作成にはperplexity AIを、就職用の書類作成にはchatGPTを使っている。文章作成能力及び日本語能力はchatGPTが優れているようなので、このような使い分けになるのだろう。