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ドルは崩壊しない:株式市場に裏付けられた通貨


新型コロナウイルスのパンデミックとウクライナ侵攻により社会構造が大きく変化した。変化の本質について観察してきたが、観察の中心はマクロ経済、特に通貨だ。昨年9月に、BRICSの歴史、中東のアナリストの観察をもとに、マクロ経済の現状を分析した。

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半年程経過したが、金融システムに変化は見られない。ドルの不安定性はリスクプレミアムで予見できるが、安定している(ドル基軸通貨体制の行方 際立つ流動性、地位揺るがず)。他方ドルの価値下落の兆候も多く、ドルの崩壊を予測する人も多い(例えば、ペトロダラーの終わりと金、そして日本)。米国は政治と社会の不安定性は拡大していて、景気に関して先行き不安を持つ人も多い。現在通貨について何が起こっているのだろうか。これまでの観察・考察結果についてまとめた。

 

 

ドルの裏付け:ブレトン・ウッズ体制とペトラダラーシステム

第二次世界大戦後最初の通貨制度はブレトンウッズ体制だ。米通貨当局がドルを金に固定し、他国の通貨当局が自国通貨をドルに固定する金ドル本位制である。ブレトンウッズ体制では、ドルの価値は金で裏付けられている。

1971年のニクソン・ショックにより、ブレトンウッズ体制は終了し、73年に変動相場制がはじまった。このときサウジアラビアとの交渉で、米国がサウジアラビアの安全を保障するかわりに原油取引をドルのみで行う(ペトロダラーシステム)、という取り決めが行われた。その結果、民間経済主体で国際資金決済の大半がドルで行われるようになり、ドル基軸通貨体制が続いた。ごく最近までペトロダラーシステムが機能しており、ドルの価値は原油取引で裏付けられていた。

ペトロダラーシステムはサウジアラビアとその他のアラブ石油産油国の安全保障が前提になっている。従って、第一の条件は中東情勢が不安定であり紛争が頻発すること。1970年代以降現在に至るまで中東情勢は不安定で、戦争やテロの連続であり、ペトロダラーシステムの維持に必要な条件を満たしていた。米国が中東の政情不安を助長していた、という報告もある(例えば、CIAのゴーサインによりサウジアラビアが出現させたテロ組織ISIS)。またイスラエルの存在は、中東の不安定化に大きく寄与してもり、米国が全面的にイスラエルを支持していることは、ペトロダラーシステムの観点からも合点がいく。第二の条件は圧倒的な米国の軍事力である。不安定な中東情勢に介入して産油国を保護できる軍事力が必要である。

ペトロダラーシステムは米国の力の源泉であるため、原油取引をドルから他の通貨に変更するものは排除される。1999年に欧州統一通貨ユーロが誕生し、イラクのサダム・フセインは、自国の原油取引をユーロ建てにしようとして排除された。イラク戦争の本当の目的は、この計画の阻止だ、と考えられている(水野和夫「資本主義の終焉と歴史の危機」)。

次に述べるように、ペトロダラーシステムにより米国に世界の富が集中するしくみが最近まで機能していた。

 

基軸通貨のメリット:基軸通貨を持つ国は全世界から資金調達できる

米国での通貨の流れ

ドルは連邦準備銀行という民間銀行が発行しているが、全国の主要都市に散在する連邦準備銀行のアクションはすべて連邦準備制度理事会(Federal Reserve Board, FRB)が決定する。FRBは政府機関なので、ドルの発行は政府がコントロールしていることになる。ドルは連邦準備銀行の負債になるが、流通しているドルは銀行に戻るか、あるいは米国債の購入に当てられる。米国債は税金以外の政府歳入になる。

ドルは基軸通貨であるため主要な国際取引はドル建てで行われる。国際収支の米国の相手国(例えば日本)の黒字は米国の銀行にドルとして残るが、その多くは金利がよい米国債の購入に当てられる。このように米国は国際収支の黒字国から無制限に資金調達できる。

日本での通貨の流れ

円は日本銀行が発行するが、日本銀行は日本政府の認可法人である。日本政府は日本銀行の株式の55%を所有しているため、日本銀行は政府から独立した機関であるものの政府の監督下にある。円は日本銀行の負債だが、市場で流通した円は国内の金融機関(銀行預金など)へ戻る。日本の場合、国債の大部分は国内の金融機関が購入する。金融機関の原資は預金なので政府の負債(国債)は国民の資産となる。すなわち日本政府は国民から資金調達していることになる。他の国が国債を保有していないため政治的な問題はおこらないが、米国が全世界から資金調達できるのに対し、日本の場合は国内に限られている。

基軸通貨のメリット

基軸通貨ドルのメリットは、経常収支黒字国がドル運用に米国債を購入するため、世界中から資金調達が容易にできることだ。基軸通貨でない通貨の国債を他国が購入すると経済状況が悪化したときに他国の介入が起こり得る(日本の場合は、自国で国債が消化されているためそのような問題は起こらない)が、米国は何の憂いもなく借金を重ねることができる。米国債で調達した豊富な資金を有効に活用すれば、国力を未来永劫維持できる(と考えていたはずだ)。

 

ペトラダラーシステム崩壊の兆候

ペトロダラーシステムを支えているのは、米国の軍事力だ。そして前提となっているのは中東地域が不安定であることだ。不安定な政治情勢から米国が産油国を守ることによりペトロダラーシステムが維持されてきた。しかし近年、米国は中東からの軍事力を撤退してきており、中東産油国は「脱アメリカ依存」を進めている(「脱アメリカ依存」進める湾岸諸国の巧みな交渉術 多極化する世界で「存在感」が増している | 緊迫する中東情勢 | 東洋経済オンライン)。ペテロダラーシステムの裏付けは崩壊してきている。

その結果、原油の決済通貨のドル離れが始まっており、人民元を使う動きが現在加速している。ロシアはルーブルに加えて人民元を、イランも人民元を決済通貨に用いている(人民元の国際化の推進)。サウジアラビアも人民元決済を視野に入れている(サウジ、「原油輸出を人民元で決済」構想)。以前のように米国が原油ドル建て取引を強制する動きもない。また世界における外貨準備に占めるドルの比率も着実に低下しており(外貨準備ドル比率が過去最低 通貨もグローバルサウスへ)、この点においてもドルの凋落傾向は明確だ。

 

ドルの価値を゙支えているもの

しかし依然としてドルは何の問題もなく使用されている。もちろん現在問題が顕在化していないだけで近未来にドルは崩壊する、という見方もある。しかし現在の経済システムをよく観察すると、ドルの価値が大きく変化するとは思えない。

一つの要因は、低下しているとは云え、すでに世界の外貨準備の58,36%はドル建てだ(2022年末時点の世界外貨準備における米ドルの比率は58.36%と、7年連続で低下! – 豊トラスティ証券マーケット情報)。世界の外貨準備総額は11兆0890億ドルで、そのうちドル建ては6兆4599億ドルだ。そして外貨準備以上に規模が大きいものが、株式市場である。ニューヨーク証券取引所とNASDAQをあわせた時価総額は40兆3000億ドルで、活発に売買が行われている(【note】世界の証券取引所トップ10|ゴシュナ)。

ニュヨーク証券取引所では、それぞれの企業の価値はドルを指標として評価される。株式はニューヨーク証券取引所をはじめとする株式市場で、定められた規則のもと自由に取引される。取引が安全に行われるためには、ドルは絶対的な指標でなければならない。これまでドルはペトロダラーシステムにより通貨としての価値が保証されて来たが、ペトロダラーシステムによる保証が崩壊してきている現在、株式市場でドルが使われているのは、株式市場というシステムがドルの指標としての価値を保証しているためだ。上場企業、そのなかでも時価総額の高いグローバル企業が株式市場の中心になっており、ドルの価値は証券取引所に上場している企業、特にグローバル企業が支えていることになる。

現在金融経済は実体経済のおよそ4倍の規模になっている。ドルは株式市場という金融経済で価値が保証されているので、それより規模の小さい実体経済の取引にも安全に使うことができる。なお、ここで議論しているドルの価値とは、システムとしてのドル、経済で信頼されているかどうか、ということである。コモディティに対する価値(物価)や他の通貨に対する価値(為替)のことではない。ペトロダラーシステムでは米国の軍事力が基軸通貨ドルを支えてきたが、現在は時価総額の大きいグローバル企業が支える体制へ移行しつつある。このように考えると、一部の識者が唱える「ドルは崩壊する」という議論は成り立たないことがわかる。

 

結論

経済システムの中のドルの価値がどのようなメカニズムで裏付けられているのか、という疑問から、現在の社会を観察してきた。現在、米国の軍事力でドルの価値を゙裏付けるペトロダラーシステムから、株式市場での裏付けに移行しつつある、と考えるに至った。株式市場では時価総額の高いグローバル企業の影響力が強いため、社会における実権は米国政府からグローバル企業へ移行することになるだろう。

ドルと同様、成熟した株式市場を持った通貨圏では、通貨の価値が株式市場で裏付けらることができる。したがって円とポンドは安泰だ。人民元はバスケット通貨だが、為替も証券取引所も政府の管理下にある。従って、従来と同じく国家権力による裏付けになる。ユーロ圏は株式市場は成熟しているが、EUとユーロ自体に先行き不透明なところがあるので、今のところ評価は保留すべきである。ジャック・アタリですらEU崩壊の可能性を否定していないのだから。

ルーブルは金本位制になったりしているので、コモディティに裏付けられた通貨になるだろう。これはブレトンウッズ体制と同等なので、一時代前のシステムだ。経済の規模と複雑性が西側よりも小さく、必要な通貨量が少ないため現物資産の裏付けでも支障はないのだろう。

ノーベル賞受賞者をはじめ多くの経済学者は現在の経済の説明を放棄している。彼らは米国の経済政策に深く関与していたのにもかかわらずリーマンショックを防ぐことができなかったわけだから、彼らの言説は必ずしも正しいわけではない。たぶん経済学は、そのときの政治的な枠組みを前提として成立しているので、枠組みが変われば成立しなくなるのだろう。私は経済は門外漢だが、論理的に齟齬のない説明として「株式市場に裏付けられた通貨」というコンセプトを考えた。社会科学では学説ということになるのだろうが、私は自然科学者なので、このコンセプトを仮説として扱い、検証作業を行うつもりだ(ただし何年もかかる)。いくつかの予測を立て、それを前向きに検証することで達成できる。