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暗号通貨の「スケーラビリティ」問題:トランザクション速度の向上と低コスト化

先の2つの論説で暗号通貨の現状と最新の暗号通貨SUIについて説明した。

precision-medicine.jp

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本論説で現時点での最重要問題「スケーラビリティ」についてまとめた。

 

 

イントロダクション

 

現在の社会は金融であれ情報であれ大企業が流通を制御している。金融は銀行やカード会社、情報は、SNSならXやフェイスブック、検索はグーグルが仕切っている。ブロックチェーン技術の目標は大企業を介することなく非中央集権的に通貨や情報の交換を行う仕組みを構築することである。多くの新しい技術を持った暗号通貨が開発され、暗号通貨市場で流通している。暗号通貨市場はブロックチェーン技術の壮大な社会実験を行う場所だ。この市場で生き残った技術(暗号通貨)が実社会で使われるようになるだろう。ビッグテックが管理する現在のインターネットはweb 2.0、ブロックチェーンを基盤とする非中央集権的なインターネットはweb 3.0と呼ばれている。

暗号通貨の発端は2008年のブロックチェーンの論文で、金融機関や政府が介入しない非中央集権的な通貨取引の方法として提唱された。次に2013年にスマートコントラクトにより、機能が大きく拡張された。スマートコントラクトは「ユーザーが一定の行動を取った場合、予め決められた動作を自動的に実行するプログラム」で、いわば契約の自動実行プログラムである。スマートコントラクトによりブロックチェーンは通貨以外の他の資産にも使われるようになった。その後様々な技術改良が加えられてきたが、未だ発展途上である。

ブロックチェーンの技術的課題はスマートコントラクトの提唱者ヴィタリック・ブテリンの「ブロックチェーンのトリレンマ」に集約されている:ブロックチェーンには「セキュリティ」「分散化」「スケーラビリティ」の3つの要素があるが、この3つを同時に向上させることは極めて難しい。この中で「セキュリティ」は最重要で、最初に優先するべきものだ。「分散化」は本来のブロックチェーンの目標なので次に優先される課題だ。残る「スケーラビリティ」の向上が現在最重要の技術的課題になっている。つまり取引の承認作業(トランザクションtransaction)の速度の向上、トラフィックの増加への対応、そして低コストでの実現だ。

 

イーサリアムのアプローチ:レイヤー2

 

イーサリアムでは、イーサリアム本体の上にレイヤー2という別のネットワークをつくってイーサリアムの機能強化を図っている。いくつかのレイヤー2が開発されているが、主な目的は、分散化とセキュリティを犠牲にせずにトランザクションの速度を高めることである。

主要なレイヤー2暗号通貨にはポリゴン、オプティミズム、アービトラムがある。下記に簡単な解説が載っている。

coinpartnernetwork.com

 

ソラナのアプローチ:Proof of History (PoH)

 

暗号通貨の取引の承認作業(トランザクションtransaction)は、非中央集権的な方法で行われる。普通の金融取引では銀行が介在するが、ブロックチェーンの場合は不特定多数のネットワーク参加者(ノード、処理を行う電子デバイスのこと)の合意により取引の承認を行う(コンセンサスアルゴリズム)。しかしコンセンサスアルゴリズムを行う前に取引の時系列が決まっていなければならない。時系列を間違えると、入金と出金の順序が逆転し残金のないアカウントから出金する、というような事態が出現する。ローカルな時刻は各ノードで微妙に異なるので、イーサリアムやビットコインではノード間で通信して時間を同期する。この作業にコストと時間がかかる。時刻の同期プロセスを簡単にした技術がソラナのProof of History (PoH)だ。なお、PoHはコンセンサスアルゴリズムではない。ソラナのコンセンサスアルゴリズムはPoSである。

ソラナでは、時間の標準にグローバルクロックを使う。グローバルクロックは一定時間間隔で前のハッシュ値を入力にしてハッシュ値を計算し出力する(下図左)。トランザクションが必要なイベントが発生したときは、前のハッシュ値に加えてイベントを入力としてハッシュ値を計算し出力する(下図右)。すると以降のハッシュ値が変化する(灰色からピンクにかわる)。ハッシュ値系列の変化により、イベントの発生時刻が特定できる:ハッシュ値系列が変化する時刻をもとに各イベントの時系列を決定する。各ノードはグローバルクロックと通信するだけで時刻を確認できるので、コンセンサスアルゴリズム前の処理が著しく軽減される。

ソラナのブローバルクロック。SHA256はハッシュ値計算アルゴリズム。SHA256が一定時間間隔で前のハッシュ値を入力としてハッシュ値を計算出力し続ける(左)。イベント発生のときはイベントがハッシュ計算の入力に加わるので、以降のハッシュ値がかわる(右、ピンク)。Solana White Paperより。

 

SUIのアプローチ:資産中心モデルの効果

 

まずSUI以外の暗号通貨が採用しているアドレス中心モデルについて説明しよう。下図はソラナの場合だ。まずシステムプログラムがアカウント(アドレス)をつくる。次にカスタムプログラム(スマートコントラクト)にシステムプログラムがアカウントの所有権を与える。スマートコントラクトができるたびにアカウントの所有権を与える。従ってアカウントは一つ以上のスマートコントラクトに所有されていることになる。

アドレス中心モデル。システムプログラムがアカウントをつくる。カスタムプログラム(スマートコントラクトのこと)にシステムプログラムがアカウントの所有権を与える。新しいスマートコントラクトができるたびにシステムプログラムはアカウントの所有権を与える。アカウントは一つ以上のプログラムに所有されていることになる。なおレントはデポジットのことで、アカウントは一定額のSOL(ソラナのネイティブトークン)を持つ必要がある。ユウキ氏のノートより。

アドレス中心モデルではアカウントのバランスがブロックチェーンに記録される。そのためトランザクションの速度が高くても、特定のスマートコントラクトのトラフィックが急増した場合や、特定のアドレスに多数のスマートコントラクトの決済が集中した場合は処理が遅延する。スケーラビリティ問題を解決するためには、スマートコントラクトの処理速度等トランザクション以外も改善しなければならない。

SUIの資産中心モデルではオブジェクトの状態がブロックチェーンへの記録対象になる。トランザクションにスマートコントラクトは介在しないのでトランザクション処理速度の向上のみで対応できる。

資産中心モデルでのトランザクション。スマートコントラクトは介在しない。

 

考察

 

2024年5月15日時点での主要暗号通貨のトランザクション速度は次の図のとおりだ。

主要暗号通貨のトランザクション速度の比較。TPS(transaction per second, 1秒あたりのトランザクション)。

ソラナとSUIが突出していて、レイヤー2のポリゴンやその他のレイヤー1暗号通貨は、かなり差がある。SUIは7月24日の主要アップデート(mysticeti update)で処理速度は10万TPSになる予定だ。ソラナも来年主要アップデートが控えている。SUIとソラナ以外の暗号通貨がキャッチアップすることはないだろう。

レイヤー2はレイヤー1であるイーサリアムの地位が確立していることが前提だが、イーサリアムはそこまでの地位は確立していなかったようだ。実際イーサリアムのシェアはソラナに大きく侵食されている。ブロックチェーン技術の主戦場はレイヤー1で、レイヤー2でイーサリアムを補完するという路線はすでに終了している。

ソラナの技術仕様は既存技術を最適化してトランザクションの限界を拡張を試みているように見える。ソラナでは、かなり技術の限界まで拡張されているようで、大幅な改善は難しいように見える。ソラナの問題点とSUIのメリットについては次の記事で述べられている。

innovatopia.jp

SUIの特徴は、スケーラビリティ問題を資産中心モデルという全く異なる土俵へ移している。資産中心モデルでは、スケーラビリティ問題の解決がアドレス中心モデルよりも簡単になる。上の記事でChirpのCEO Kravchunovskyは、「ブロックチェーンのイノベーションが進む中で、既存のオファリングを改善し超える革新的な開発が常に存在する。Suiがまさにそのような開発であり、Solanaの次の世代である」としている。このことは、SUIの次の世代も出現するだろう、ということで、それはSUI自体の改良版かもしれないし、新しい暗号通貨かもしれない。だが資産中心モデルを採用した暗号通貨であることは間違いない。

私と同じ見解の記事はKravchunovskyが初めてだが、同様の考えの研究者・業界人は他にもいるだろう。