論文を書くのも、査読するのもAI――そんな「論文作成ループ」が現実味を帯びつつある。同時に米国では、トランプ政権のもとで科学・医療分野の大幅な予算削減が進もうとしている。AIの進歩と財政削減が交差するいま、アカデミアの構造はどう変質するのか。
AIが論文を執筆し、AIが査読するという「論文作成ループ」は、アカデミアとその関連業界の抵抗は強いものの、もはや阻止するのは不可能だ。特に生物医学・臨床医学分野では、すでに論文アブストラクトの一割以上がLLM(大規模言語モデル)の影響を受けていると推定されており(Delving into LLM-assisted writing in biomedical publications through excess vocabulary)、テキストとしての論文が「人間の仕事」であるという前提は崩れつつある。この変化は、単に執筆作業の効率化にとどまらず、「論文=業績=地位=予算」というアカデミアの根幹構造を揺るがすものである。
現在の論文中心の評価制度は、LLMの登場によって制度疲労が一挙に露呈した。整った英語、論理的な構成、体裁の整ったグラフや統計解析コードは、安価に自動生成できる汎用サービスとなったからである。その結果、論文数やインパクトファクターといった指標は、AIによる「指標ハック」に晒されつつある。ペーパーミル(論文工場)は人海戦術から自動化へと移行し、ジャンク論文の量産がさらに加速する危険が高い。
本来ここで必要なのは、「論文本位制」から「データ・再現性・プロセス本位制」への構造転換である。すなわち、評価の重心をテキストから、生データ、解析コード、実験ログ、事前登録といった改竄耐性の高いアウトプットに移すことである。加えて、LLM時代には匿名の査読ネットワークが機能不全に陥るため、実名ベースのトラストネットワーク、対面での発表・質疑、長期的な共同研究関係といった「人間の信頼構造」がむしろ重要性を増すはずである。
しかし、現実に進みつつあるのは、必ずしもこうした建設的な改革ではない。アメリカでは、トランプ政権の科学技術政策として、NIH、NSF、CDCなど基礎研究や公衆衛生を担う機関への大幅な予算削減が検討・実行されている。表向きには財政規律や「小さな政府」、あるいは民間イノベーション重視が掲げられるが、その背後には「AIで効率化できるなら、人と公的予算を減らせるのではないか」という思惑が透けて見える。
ここに、AIと財政削減がつくる危険な悪循環がある。LLMの普及によって、見かけ上の研究生産性――論文数、レビューのスピード、申請書のクオリティ――は容易に引き上げられる。すると政策側には、「これだけAIで効率化できるなら、科学や医学に今まで通りの公的資金を投入する必要はないのではないか」という発想が生じる。しかし、削減対象には、これらの目に見える部分だけではなく、見えないが重要なインフラ部分も含まれる。すなわち、公的データベース、再現性検証プロジェクト、疫学・サーベイランス、倫理審査、研究事務・監査といった「公共財」も削減されている。例えばNCBIは一時期予算削減のため機能不全に陥っていた。
これらのインフラ部分が劣化すると何が起こるか。第一に、LLMが学習し参照する「高品質な土台データ」が劣化する。AIは既存データの統計的パターンを学ぶ存在であり、ゴミデータからはゴミしか出てこない。科学論文がAI生成の論文で汚染され、その上で政策側が品質保証機能を削れば、AIと科学の双方が「モデル崩壊」の方向へ向かうことになる。第二に、臨床医学、とりわけ腫瘍学のような分野では、AI経由で汚染されたエビデンスが治療ガイドラインや保険償還、規制判断に入り込み、患者アウトカムの悪化や医療過誤の増加を招くリスクがある。
「研究者はAIに置き換わらない」という見解は、研究コミュニティの内部では広く共有されているが、そこには少なくないバイアスが存在する。研究者は自らの専門性や責任の重さを熟知しているため、「論文を書く」という表層的な作業と、「仮説を立て、設計し、検証し、結果に責任を持つ」という全体プロセスを同一視しない。しかし最新のGPT-5やGemini 3Proは、分野によっては後者についても十分代替可能で、その指数関数的成長からすると大部分の分野で代替可能な未来が見えてくる。その事実を前提にせずに、「研究者の仕事は特別であり、AIでは代替できない」と主張するだけでは、説得力を持たない。むしろ重要なのは、「何をAIに任せ、何を人間が担うべきか」を明確に線引きし、論文・申請書など文書に基づく評価システムにかわる新しい評価体系を構築しなければならない。さもなければ外部からは、見えるのは主にアウトプットである論文や報告書であり、「その多くがAIで安く早く作れるなら、人件費と予算を削ってもよいのではないか」という短絡的な判断に陥りやすい。
AIが書き、AIが査読する時代において、アカデミアが生き残る道は、「論文を書くこと」から「検証可能なファクトを発見し、責任を持つこと」へと、評価軸を移すことにある。そして国家レベルの政策も、削減ではなく再設計に向かうべきである。しかし現状トランプ政権の大規模削減は、削減すべき部分とすべきだない部分が区別されていないため、AI時代に必要な「再設計」としては不適切だ。AIに任せられる部分は徹底的に任せ、その分、人間にしか担えない部分に資源を集中する。そうした発想転換なしには、AIと予算削減の組み合わせは、科学と医療を静かに侵食する「二重の危機」として作用するであろう。米国の行政改革のスピードを見ていると、アカデミア側に残された時間はあまりないようにみえる。